つい先日、初演を終えた、エトワール★ヨシノの一人舞台『脱走兵』。
舞台というのは、表に出るのはたった数時間の上演なんですがね。
その裏側には膨大な準備が必要です。
音楽、照明、舞台転換、美術、興行──どれも少しのズレが、大きな失敗につながるので、小さな違和感も「まあいいか」で済ませず、確認を重ね、修正していきます。
その地道な積み重ねこそが、結果として「何も起こらなかった」をつくるのです。
ボクはMAMEHICOをやっていて、これまで絶体絶命のトラブルや大きなピンチに陥ったことがありません。
「幸運の持ち主なのですね」とよく言われます。
たしかに、そうなのかもしれません。神様、ボクに幸運をありがとう。
ただ、幸運の持ち主だからといって、棚からぼたもちばかりが落ちてくるわけでもない。
いやぼたもちなんて落ちてきたことあるかなぁ。
大きなトラブルを避けるには、日々の小さな段階で芽を摘むことに尽きるとボクは信じています。
「気づけるかどうか」、そして「気づいたらすぐに動けるかどうか」がカフェにおいてとても大事なのです。
うちのスタッフを見ていると、最悪の事態になってからようやく「どうしよう」と考えるヒトばかり。
けれど、そのときには手遅れなんですよ。
ボクは「実際に現象として見えたときには遅い」と思っています。
結果として、諦めて「仕方ない」と沈黙してスルーしようとする。
大事なのは、まだ見えていない小さな兆しを感じ取り、その段階で動くことです。
しかし、まだ起きていないものに目を向けろといっても、その重要性はなかなか理解されません。
「何も起きていないけどね」とボクはギャンスカ言うのです。
そしてボクもスルーされます。
でも言わなくちゃいけないのだよ。
たとえば、店の空気が少し重い。スタッフの表情が冴えない。
そういう小さな違和感に気づいたら、その場で声をかけたり、配置を変えたり、メニューを工夫したりすればいいじゃないか。
それを「まだ問題になっていない」と放っておけば、結果として、大きな不満やトラブルとなって表に出てくる。
そうなったらめんどくさいのです。
ボクはいつも自由でいたいんです。
そのためにMAMEHICOを始めたのだから。
トラブルに縛られるのは、とても不自由なのでいやです。
舞台の準備でも、カフェの営みでも、自由でいるためには、小さな芽を摘み、毎日、小さく組み替えていくことです。
たとえ理解されなくても、煙たがられても、今日も小さな芽を摘むことを止めないことです。
止めるときは、辞めるときです。
いまボクたちが「当たり前」だと思って受けている安心も、先人たちの小さな気づきの積み重ねによって守られてきたものだと思うから。

小さな店として始めて二十年。「MAMEHICOの大切にしている10のこと」をご紹介しながら、続けることの意味をお話しします。



