父は戦中、母は戦後の生まれです。
戦後の荒廃から立ち上がり、高度経済成長期と呼ばれるなかで青春を送った二人は、いわゆる団塊と呼ばれる世代で、ボクは団塊ジュニアというわけです。
父は政府系の銀行員、母は専業主婦でしたから、ボクは物質的には不自由なく育ちました。
いわゆる「一億総中流」の典型といった家庭で、新型冷蔵庫にカラーテレビ、オートマ自動車、ビデオデッキにカセットコンポ。
「豊かさ」の象徴が、またひとつ、またひとつと家庭に増えていったことをよく覚えてます。
父も母も便利が増えていくことを喜び、不便なことを嫌ってました。
ボクは、そんな両親の「不便よりは便利に価値あり」「手作りより買ったもののほうが上等」という価値観をどこか間違ってると思う子どもでした。
ボクは、便利なものは「大事な何かを奪う」気がして、あえて不便なことを選んでやるような子どもでね。
だけど彼らは、ボクが大きなことに挑戦しようとすると、「そんなの無理よ」、「そんなことやってなんの意味があるのか」といつも水を差すようなことを言う。
だからいつも気分が悪くてね、早く家を出たかった。
そりゃね、本心では「子供を傷つけたくないのが親心なのよ」、それはそうかもしれないけど。
なにかにつけ挫折や失敗を避けようとする両親を、ボクはたまらなくカッコ悪いと思っていたんだから仕方がない。
だから高校を卒業したら、あとは親とはまったく違うことを好き勝手やりました。
あっ、誤解なきように言っとくと、べつにアウトローになりたかったわけではないのよ。
ただ、自分のなかの「当たり前」をやりたかった。
たとえば、家族はポン酢を買ってきて美味しいと食べているじゃない。
だけどボクは友達の家の庭にゆずを取りに行って、自家製のポン酢を作ったりしてた。笑
まっ、そういうこと。
こうすればもっと面白い暮らしになるのに、こうすればもっと良い社会になるのに——そんな理想をひとつずつ実現したかった。
そんなボクがMAMEHICOをやってるんだからねぇ。
やりたいことをやる、やりたくないことはやらない。それがボクにとってのMAMEHICO。
理想を貫くために開いたカフェだから、自己満足と言われりゃそれまでだわね。
MAMEHICOを始めて、理想を貫く機会を得たボクは張り切ったけれどね、それがご多分にもれず挫折の連続とセットでした。
不眠不休の努力が報われることなんてこれっぽっちもなく、結果なんて出ないことばかり。
理不尽な事件は、ここに書けないほどありました。
20年間振り返って、MAMEHICOでなにを得ましたかって今問われれば、「どんなことでも乗り越えようとする、その姿勢」と答える気がする。
いまこの国は「どこに行こうとしているのか?」といよいよ考える時期に差し掛かってるんじゃないですか?
まっ、そういわれて久しいけど。
ボクは便利さを否定してるわけではないのね。
ただ、物質的な豊かさに甘えて、試練を回避し続ける余裕は、もうこの国にはとっくになくなってると思うけどどう?って言ってるだけ。
どうせ押し迫る困難なんだから、回避する道をきょろきょろ探すんじゃなくて、立ち向かって乗り切る姿勢が必要じゃないかと思ってます。
いまこうして時代の変わり目に立ってみると、MAMEHICOで鍛えられたことは心底良かったね。
自分の理想を掲げて、それに向かって進んでいく過程で、何度も挫折し、乗り越えてきたことで、ボクは間違いなく、驚くほどの強さと明るさを手に入れたと思うわけです。
