豊かな時間

こんにちは!MAMEHICO東京スタッフの前島由紀です。

私がその店に出会ったのは、もう20年以上前のこと。
代々木上原の駅を出て音楽村通りをぶらぶらと歩いていたとき、ふと目に入った「アルバイト募集」の張り紙。
扉の横に小さな文字で手書きで書かれていて、少し入りにくい雰囲気のお店でした。

思い切って木の扉を開けると、薄暗い店内には古いランプが灯り、アンティークの家具、煙草で良い具合に変色した漆喰の壁。
その壁にはアルバイトの子が書いたと思われるお習字が何枚か。
まるで、時間が止まったよう。
不思議な魅力的なお店でした。

ご夫婦で営むそのお店は、料理上手の奥さんが中心となり、きりもりしていて、手作りシチューと、和のお惣菜が看板メニュー。
かぼちゃ煮、ひじき煮、だし巻き玉子に胡麻豆腐…。
デザートのゼリーはアンティークの薄いガラスに入っていて、密かに人気メニューでした。

私はすっかりその空間に魅了され、すぐに働かせて欲しいと伝えました。
朝から晩まで休みなく働き詰めの毎日。
ブラック企業、ライフワークバランスなどの言葉も無かった時代です。
仕事が終わるとみんなでまかないを囲み、帰宅するのはいつも日付が変わった頃。
今思えばとてもハードな毎日でしたが、なぜか記憶に残っているのはまかないの温もりばかり。

少し風変わりなお店で、朝からせっせとまかないを作るのが日課でした。
もちろんお店のメニューも並行して作るのですが、当時はまかないにかける食材と時間がかなり贅沢だったと記憶しています。

そこで、私は家庭料理の美味しさに目覚めました。
お味噌汁、糠漬け、麻婆豆腐、パエリア、ボンゴレスパゲティ、カレー、焼売に春巻き…。
中でも奥さんが作るだし巻き玉子は絶品で、今でも忘れられない味です。
帰宅後に小さなカセットコンロで覚えたての料理を作り、再現したり、糠漬けにも挑戦しました。
残念ながら糠漬けは1人暮らしには向かずに断念したけれど…。

そんな日がずっと続くと思っていたある日、お店のデザートがテレビ番組で紹介されました。
そこから日本全国のデパートを巡る忙しい日々が始まったのです。
やがて、小さなレストランは、駅前から商店街の中に引越し、予約制に。
デパ地下に卸すデザート作りに専念するように変わっていきました。

今では、もう行きたくてもそのお店はそこには無く、幻のお店になってしまった。
それから年月は過ぎ、私はMAMEHICOのお弁当クラブのことを耳にします。
お弁当をきっかけにMAMEHICOに関わるようになり、井川さんが作り出す世界、井川さんが作る料理に惹かれ、MAMEHICOで働かせてもらうようになりました。

初めてMAMEHICOのまかないを食べたのは、確か、公園通りが閉店する時だったと思います。
あの日のまかないは、鮭と梅干しのお茶漬けにいくつかのおかず。
お茶漬け自体は特に好きでも嫌いでもなかったのに、あの時みんなで頂いたほうじ茶のお茶漬けは本当に美味しくて、今でも強く心に残っています。

飲食店はいつも休憩回しに頭を悩ませます。
薄暗いバックヤードで、急いでご飯をかきこんで少し横になる──そんな光景をたくさん見てきました。
けれど、コロナ禍でお客さんが減ったことで、MAMEHICOではお店を一度閉めて、みんなでまかないを囲む時間が生まれました。

同じものを、同じ時間に、同じテーブルで一緒に食べる。
たとえ失敗して落ち込んでいた日も、そのテーブルを囲めば不思議と元気が出たものです。
丁寧に淹れた温かいお茶、たまに誰かが作ってきた手作りのおやつ──特別な会話がなくても、確実に何かが私たちの間に育まれていた、あの時間はとても豊かな時間でした。

そんなコロナ禍も経て、お店は再び大忙しの日々!
まかないの時間のために店を閉める余裕はなくなり、それぞれがお店の暇なタイミングでまかないを食べることになりました。

それでも、MAMEHICOのまかないは今でも変わらず美味しい。
お客さんに出す料理とおんなじように美しく盛り付けられている。
「日常こそが大切だよ」と井川さんがいつも言うその言葉が、日々のまかないにも息づいている。

一緒に食べるあの優雅なまかないの時間は無くなってしまったけれど、まかないを前に、心がホッとあたたかい気持ちになるのは今も変わりません。
忙しい毎日ですが、せめてみんなで一緒にお茶を飲むくらいの余白は残しておきたい。
今はそんな風に思っています。

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