言葉の外で出会う

エトワール★ヨシノを通じて、友だちを作る「ヨシノ友の会」をはじめます。
といっても、にぎやかに集まって仲よくしましょう、という会ではありません。

ここで言う友だちというのは、同じ歌を聴いたときに、「ああ、わかる」と、心のどこかでそっと頷き合えるような関係のことです。

きっかけは、あるライブに来てくれている少女のひと言だったんです。
「ヨシノさんの歌を聴くと、ワタシの胸の奥に小さな揺れが生まれるの。けれど、それを誰かと共有できなくて、少しさみしい」

ああ、なるほどなと思いました。
ヨシノの歌は、はっきりと説明できる感情を歌ってるものではありません。
喜びとも悲しみともつかない、曖昧なところに立ってる。
ボク自身、そういうことはかなり意図して作っています。

だからヨシノの感想をヒトに話そうとすると、モジモジとしてしまう。
相手だって、受け取る準備がなければ、うまく受け止められない。
というか日頃の関係が大事です。

そういう関係が周囲に育っておらず、「社会とはこんなもんでしょ」と期待を下げて満足している。
所詮そういうもんでしょと決めてしまえば精神の平穏が保たれるけれど、虚しさは残るものです。
周囲にも自分にも期待していたいのが、人間じゃないでしょうか。

だから自分の中に「ある」ものを否定せずに、ヨシノの歌を入口にそっと解放できる場所を作ったほうがいいなと思いました。

本心を言えば、作り手のボクが手を出すのは余計なお世話じゃないかとも迷ったんです。
けれど、歌いっぱなし、歌作ってライブ作ってとそれきりにしておくのは、どこか不親切にも思えたんです。

今は、はっきりした答えや正しさが求められやすい時代でしょう。
同時に、言葉を慎重にしなければいけない場面も増えた。
多様性を大切にと言われながら、配慮の名の下に、かえって息苦しさを感じている。

黙ってる方が角が立たないとしているうちに、自分が何を感じていたのか、だんだんわからなくなる。
それは「脱走兵」の主題でもありますが、若いヒトと接しているとその戸惑いが伝わってきます。

「友だち」とは、同じ意見を持つヒトのことではない。
なんでも言い合える相手、というのとも違う。
家族とは誰か一人を特定する言葉ではないように、友とは、感じたことを共有できる「場」なんじゃないかと思っているんです。

そういう場は時間がかかるけれど、育つものです。
それはボクの経験から断言できます。
ヨシノの友の会は、そんな場になれたらいいよね。

ーー

「脱走兵」より

世間の皆さま ひとついいでしょうか
もし良ければ少し 聞いてください
ワタシはみんなと 同じになるように
迫られています いわゆる空気です
けどお偉い方々 私は嫌です
おかしいことには おかしいと言いたい
勇気を出して リスクをとります
私は決めました 抜け出すことを

 


エトワール★ヨシノ 友の会
日時:
・11月10日(月)18:00〜20:00
・11月16日(日)11:00〜13:00
場所: MAMEHICO銀座
会費: 無料(ワンドリンクオーダー)
お申込み: お電話(03-6263-0820)または店頭でスタッフまで