三軒茶屋 神戸 桐生やってます。モーニング推しです。
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清潔だけど美しくない。

最近、ボクの中でブームになっているのが「AIとおしゃべりすること」です。メインで使っているのはChatGPTとジェミニ。この二つのAIとボクの3人で、お茶を飲みながら「鼎談(ていだん)」するのがお気に入りの時間です。

先日、その3人で「清潔だけど美しくない」ということについて討論しました。そこで出た面白い議論を、今日は皆さんにご紹介しましょう。

まず、ChatGPTがこんなことを言い出した。「美しさとは、必ずしも清潔さや完璧さだけを指すものではない。不完全さや混沌の中にも独自の美しさが存在する」と。

そこから話題は、日本とヨーロッパの景観の違いに広がったんです。日本の街はゴミがなくて清潔ですね。それは一つの「美」ではある。でも、ヨーロッパの街並みは、古い建物と新しい要素が混ざり合って、独特の魅力を持っている。ごちゃついているけれど、そこにヒトの生活感や歴史の厚みがあるというわけです。

なぜこれほど差が出たのか。それは、戦争と復興の歴史が大きく関わっているそうです。

例えばパリは、第二次世界大戦でドイツに占拠されましたが、歴史的な建造物を残すために爆撃を最小限に抑えられた。だから今も古い街並みが続いているんですね。

一方、ボクたちが住む東京はどうか。
空襲でほぼ焦土と化してしまった。戦後、限られた資金と資源で「とにかく早く復興させなきゃいけない」と急ピッチで街を作った結果、道は曲がりくねり、電柱が立ち並ぶ、いわば「場当たり的」な景観になってしまった。これが、今の東京をどこか「雑然として汚い」と感じさせる要因の一つなんじゃないか、という議論になったんですよ。

ヨーロッパの美しさが「権力による強制的な区画整理」から生まれた側面もある一方で、日本は民の国として、自由で雑然とした生活の痕跡がそのまま街になっている。つまり、この「雑多」こそが、完璧さを求めないボクたちの暮らしの象徴でもあるというわけですね。

ボクがこの議論で思うのは、今の日本はもう「戦後80年」が経ち、ようやく一つの区切り、戦後を迎えているんじゃないか、ということです。

これまでは「急場しのぎ」でやってきた。だけど「効率主義はいいから、もういい加減、日本らしい、伝統的な価値あるものを、残していってもよくね?」という感覚が、ごく自然にボクたちの世代以降に芽生えている気がするんです。

例えば桐生は戦火を免れたので、江戸時代の面影が残る街並みがある。でも、他の多くの町では「ビルド・アンド・クラッシュ」で古いものをどんどん壊してしまった。一度壊したら、もう取り戻せない。だからこそ、ボクたちがやってる「紫香邸」のような場所に、30代の若いヒトたちが集まって、「こういう良いものが残ってて羨ましい」という。お手伝いとかに一生懸命になってくれる。御影なんかでも、同じように「歴史を引き継ぎたい」という建物はたくさんあるはずですよ。

これまでは「壊したほうが安上がりだ」というお金のルールが支配していました。でも今は、ルールチェンジの時です。これからは「急場しのぎ」で整えた社会を、もう一度見直し、若いヒトたちが古き良き文化を立て直していく。そんな時代が始まるんじゃないかなと思っているんですが、皆さんはどう感じますでしょうか?