正解のない道を

ボクたちは、いわゆる「無難」とか「退屈」という言葉とは程遠い毎日を生きています。

東京でMAMEHICOを営んでいるボクやスタッフは、早朝から深夜まで働き詰めです。
気ままなショッピングや着飾ってのお出かけ、癒やし旅行など、「THE休日」というような暮らしはほぼ皆無です。

じゃあ、こんだけ働いてるんだから、さぞお金の方はたっぷりあるんでしょうよ、って?
それが、ちっともないというんだから、不思議です。
もう20年もやっているというのに、MAMEHICOはいつなくなってもおかしくないほどの不安定さです。トホホ。

「平凡な日常こそが幸福である」という言葉が正しいとすれば、ボクらのように変化に次ぐ変化の毎日(社会が変化に継ぐ変化なのだから)を過ごしている種族は、どれほど不幸なのでしょうか。

ところが。
そんな不幸なボクたちに、すごーく「安定」した場所で暮らしていた幸福な民が、仲間になりたいと志願してくることがある。

「どうしてMAMEHICOを志願されたんですか?」と怪訝そうなボク。

「ワタシの毎日は、お陰様でとても安定しております。日々の生活にとくに不満もなく、将来へのリスクもありません。『何年後にはこうなる』という道筋も見えています。職場の人はみな穏やかで、面倒な付き合いもありません。けれど、けれどですよっっっ。どうにも退屈なんですっっっ。それがたまらなく嫌なのですっっっ」

「はっ、はあー、まぁ落ち着いて」

「 そんなとき、MAMEHICOでお茶をしていたら、店内のスタッフさん、みな楽しそうではありませんか。どのかたも生き生きしている。『そうだ、ここだ、ワタシが求めていたのはココなのだ』と直感で感じましたので、ぜひお仲間に入れてください」

「つっつまり、合理的思考が生み出した完璧な人生は、リスクを排除し、無駄を削ぎ落とした結果、魂を殺すぬるま湯になってしまったというわけですね。「自分はただのロボットではないか」という疑問に苛まれたら、本物の生を求めてしまい、この不安定なMAMEHICOにたどり着いたのだというのですね」

そうして加わった方たちは、今日まで続いている場合もありますが、大半は「こんなとこまっぴらごめん」と早々に辞めていきます。
ボクたちが歩む道は、彼らが安全な場所で想像していたものとは、まるで別物のようです。
なんとも。やるせない思いです。

「創るということは遊ぶということ。創るということは狂うということ。創るということは生きるということ」。
脚本家の倉本聰さんの言葉です。

ボクは台風や大雪の日に、わざわざ外に出かけていく性分の子供でしたから(笑)。
いつでも人生はヒリヒリしていたいわけです。
世間のルールや他人の期待なんてものは、半分聞いたら後は聞き流してしまう。
こころの内にある「自分の声」に沿って、不確実な行動をとることのほうがボクにとっては大事なのです。

どうせ短い人生、誰かが決めた単調なルールに費やすのか、それとも正解のないところを自力で生きていくのか。
これは「君たちは、どう生きるか」という哲学の問題でね。
親も、上司も、友人も、そして過去の自分自身も、所詮は関係のない「他人」に過ぎないのだよ。
耳を傾けるべき相手は自分だけです。

はて。そんなボクの生き方をこのブログにもちょいちょい書いているわけですが、賛同してくれるヒトはあまり居ないようです。
ボクの主催する「始めて続ける」に参加するヒトもあまりいません。

ついでにいっておくと、まもなく無料のメンバーは1000人に達しそうですが、月額1000円のおうえんメンバーはなかなか増えませんね。

狂気の道、それは気ままですが、孤独です。
それに耐えるのもなかなか大変ですよ。

 


小さな店として始めて二十年。「MAMEHICOの大切にしている10のこと」をご紹介しながら、続けることの意味をお話しします。
2025.12.18
カフエマメヒコ三軒茶屋店にて
2025.11.23
MAMEHICO神戸・御影にて