エトワール★ヨシノの一人芝居「脱走兵と群衆」がひとまず終わりました。
舞台というのは、お客さんからすればひとつのイベントにすぎないでしょうけど、当事者にとってはそう簡単ではありません。
脚本準備から稽古、本番に至るまで、相当な時間と体力を費やします。
細かいことの積み重ねの果てに、たった二時間の本番があるのです。
あの、この際ですから誤解されてるかたがおられるので、断っておきますけど。
まず、ボクは女装癖があるわけではありません。
そして、そもそもボクは、それほどの出たがりタイプではないのですよ。
まったくもって裏方のほうが向いてるんです。
それなのに気づけば舞台に立ち、歌って、芝居をしたりしてる。
まるで出たがりの女装家おやじみたいですが、まったくもってそうじゃないのです。
ではなぜ、あんな大変な思いをしてまで、「脱走兵〜」をやろうとしたのか。
んーーー。それは問い詰められますとね。ごにょごにょ。
と、まったく説明がつかないのです。
それが誤解を生んでいるのかもしれません。
「不可解」。そうボクの人生は「不可解」でしかないのです。
そもそも、なんでMAMEHICOを始めたのか?
そして、どうしてこんなことをやっているのか?
どうして、こんな人生になっているのか?
まったくもって「不可解」なことばかりです。
カフェというのは、自慢じゃないですが「不可解」「不明瞭」「不安定」と三拍子そろってる。
ワンツージャンプ。
だから、ボクは「不可解」「不明瞭」「不安定」を抱えたまま生きていくことにおいては、かなりのプロ級です。
その秘訣をお教えしましょうか?無料で。
それは、ヨリドコロを持っても中道を保ち、地道さを手放さないこと、です。
たとえばヨリドコロをお金に求めてしまえば、欲しいものは手に入るし、安心して暮らせるし、またそれを使って誰かを助けることさえできる。
けれどそのお金の力が強すぎて溺れてしまいがちです。
さらに努力すれば増やせるものだから、生きる目標や希望になってしまったりもする。
それはとても危険なことなのです。
よかれよかれと思ってるうちに、お金が手に入り、たちまち足りなければ不安に陥り、持ちすぎたゆえに失うことを恐れてしまったりもする。
それは本末転倒です。
生きる目的が「稼ぐこと」にすり替わってしまい、かえって人生を不自由にしてるヒトが少なくないのです。
まぁそれはなにも、お金に限らず、なんだって度がすぎれば毒なんですがね。
民族主義や宗教だって、本来は誇りや安心を与えるものであったとしても、「自分たち」と「それ以外」を分け、大きな争いを生んでしまったりするわけです。
若いころはボクのように、「中道を行け」とか「曖昧さを受け入れろ」なんていっても、そんな生き方に共感しにくいものでしょう。
それはどうしたって、明快な理屈や目標に惹かれるものでしょうから。
けれども。世の中にはさまざまな明快な答えがあふれていますが、「これが正しい」と言えるものなんてない時代です。
むしろ心配で勉強すればするほど、ますますわからなくなる。
そんな「不可解、不明瞭、不安定」な時代にボクたちは生きている。
だからこそ、身近なことを地道に積み重ねていくことを手放さないことです。
「不可解、不明瞭、不安定」な舞台をやり終えたボクは今回もまた、地道さに助けられました。
拍手のあと、椅子を片づけ、床を掃除し、普通の店内に戻すあの作業。
地道さを手放さないことの大切さを再確認した、それが「脱走兵と群衆」をやったボクの意義なのでした。

小さな店として始めて二十年。「MAMEHICOの大切にしている10のこと」をご紹介しながら、続けることの意味をお話しします。



