今、この瞬間を

ボクはおいなりさんよりも、にぎり寿司が好きです。
それも、できればカウンターで食べたい。
握ってもらったその瞬間に食べてこそ、「ああ、お寿司よ」と思うんですね。
この季節になると檸檬ケーキの持ち帰りを頼まれることがあるけれど、基本的にお断りしています。
近所のヒトに頼まれたらなんとかしますけど、ボクは檸檬ケーキこそ、その場で食べてほしいんです。
あのクリーム、あのパイこそ、今その瞬間に食べてこその美味しさと思っているから。

ボクは人前で話すのが好きです。だからWEBラジオもずっと続けてます。
でも、過去に書いた文章は、よほどのことがなければ読み返さない。
もちろん今日のこれも二度と読み返すことはないでしょう。
だって。自分の書いたものを読み返して気分が良くなった経験なんてないもの。
大抵の場合、なんじゃこりゃ、と気分が悪くなる。
それがわかっているから、最初から読み返さないようにしてるわけ。

ボクは音楽ライブをやってますが、それは好きです。
お客さんの前で何時間も歌ってる、そのときはとても楽しい。
けれど、レコーディングで自分のアルバムを作ることは苦痛です。
いや正確には、作ってる作業そのものはとてもクリエイティブで、楽しい。
でも、完成が近づくにつれて、何度も聞き返さなきゃいけない時期がある。
それがもう悶絶するくらい、苦痛です。
自分の歌声のどこがいいのかさっぱりわからないし、顔写真なんてもってのほか!!
見返すたびに「キミね、こんな顔して、よく平気で歌っていられるね、見上げたナルシストだよ」と自分に嫌味を言いたくなる。

ボクは川が好きです。川は常に新しい水が流れ、美しい。
でもそれが窪地に溜まり、そうしてできた池や湖は好きじゃない。
水は淀み腐っていく、それを想像するとどこか恐ろしい。
動きが止まり変化がなくなる、それは死を意味するから?

ああ、なんでこんなに、なにもかも嫌なんだろう。

思うに。
ボクは変わらないもの、立ち止まってしまっているものに対して、恐怖に近い感覚を抱いているんではないかと。
たとえばヒトからの評価、それはある瞬間の結果が固定されることなわけで、けれどその評価も時間の経過とともに変化するものです。
過去に評価されていたものが、いまじゃ全く正反対の評価であることなんてものが、どれほどあるか。
だから、ボクは他人からの評価を信じないし、評価を欲しがるヒトを軽蔑しているところがある。目先のことに囚われてんじゃないよ、、、。

握ったばかりの寿司も、時間が経てば乾いてしまい、その美味しさは消えてしまいます。
おいなりさん売り場で「こちらは、いつまでもお味は変わりませんよ」と呼びかけるデパートの店員にボクはつい厳しくなってしまう。嘘つくな、、、。

ボクたちが作った檸檬ケーキは、持ち帰られたあと冷蔵庫の奥底に眠り、やがて食べられることもなく捨てられたりしまわないだろうか。
そう考えると、なぜか怖い。
ボクたちのいまを、その輝きを、できるだけそのままあなたと共有したい。

永遠を願っているけれど、それが叶わないと知っているから、今を生きているのがボクなのか。
そのあたり、ワタシって、とてもめんどくさいタイプなのです、ごめんちゃい。

井川啓央
Author: 井川啓央

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