キミはキミらしく

『桜の木にバナナの実』というエッセイ本を何年か前に書きました。
それがポツポツと売れ続けて、そろそろ在庫がなくなりそうなので、久しぶりにまた刷って出そうと思っています。
店頭でも買えますが、ホームページでも買えるようにするので、ぜひそのときはどうぞ。

さて、この本の表題になったエッセイは、「桜の木にバナナの実はつかない」という話です。

「桜の木なんだから、ちょっと頑張ればバナナの実くらいつけられるでしょ」と簡単に言うヒトっています。
べつに悪気はないんでしょう。
きれいに咲く桜を見て、そこまでできるならもう一歩いけるんじゃないかと、本人は善意で言っている。

でも、それはまったく余計なお世話でしかない、という本です。
桜の木に向かって「バナナの実をつけろ」と言われても、桜の木は困るだけです。

MAMEHICOもよく言われますよ。
「珈琲がこんなに美味しいんだから、もっとちゃんとした食事を出せばいいのに」
「もっと近くにあったら通うのに残念」
「もっと宣伝したらお客さん来るんじゃない」
「もっとホームページがわかりやすかったら」
「もっと安かったら行きやすいのに」
「感染対策をちゃんとしてくれたら、行ってあげたのに」

これ、ぜんぶね、「アッソ。ホットイテクレ」で済む話です。

桜を南国に植えたって、バナナはなりませんでしょ。
桜は日本で、美しく咲けばよい。だって桜なのだから。
けど人間にはみんな余計なことを言いたがる。

そのことをきちんと書いた本があります。
アメリカの心理学者、デイビッド・シーベリーの『心の悩みが取れる』です。

シーベリーは、悩めるヒトたちに会い続けて、ある共通点に気づいた。
それは――「私はそういう人間ではありません」
――このひとことが言えなかったヒトはみな、悩みを抱えているという事実です。

白鳥は姿が美しい。でもナイチンゲールのようには鳴けない。
それでも周囲から「あなたはきれいなんだから、声もきれいなはず」と言われる。
すると真面目な白鳥は、「ナイチンゲールのように鳴かなくちゃ」と思って、無理をする。
その瞬間から、白鳥は白鳥であることを見失ってしまう、と書いてある。

――これ、ボクの本と同じですよね。

日本には、「わがままを言わない」「自分を抑える」という美徳があります。
でもそれが行き過ぎると、ヒトを苦しめることになる。
自分の気持ちを無視して、他人の顔色ばかり見て生きていると、いつの間にか、自分の人生はどこか遠くへ行ってしまう。

ボクのはなしですが、ボクは子どもの頃から、「嫌なことは嫌」とかなりはっきりと言ってきました。
親や親戚、教師が呆れるほど、自分が自分であることを守るために必死に戦ってきたんです。

もちろん、大人になって、MAMEHICOという場をつくり、たくさんのヒトと関わるようになると、ただ「嫌」と言うだけでは済まない場面にも出くわしますよ。
スタッフにも、いろんなヒトがいますしね。
教えてあげることもあれば、態度が悪いので、むかついて無視することもある。笑

でも、気をつけているのは――桜の木にバナナの実がつくことを期待しないことです。
「こうであってほしい」という願いが、いつのまにか「お前はこうあるべきだ」に変わってしまう。
それはもう、教育でも指導でもなく、洗脳であり支配です。

桜にバナナの実を求めてはいけない。
無理をさせれば、せっかくの枝が折れ、花も咲かず、実もつかなくなる。
そのとき、誰も責任なんてとってくれないんですよ。
最近の芸能人のトラブル見ても、「桜の木にバナナの犠牲者だよな」とボクは思います。

MAMEHICOは、MAMEHICOらしく。
キミはキミらしく。
それでだめなら、それはそのとき考えればいいのです。
みなさんの一度きりの人生を、自分のものとして生きていけばいいのです。

 

井川啓央のエッセイ本
『桜の木にバナナの実』
MAMEHICO各店舗にて販売しています。

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