めんどくさいの先に

ある日、若い幼稚園の先生が、ボクにこんな相談をしてきました。

「井川さん、うちの園に、固形のものしか食べられない子がいるんです。スープとかジュースとか、やわらかいものはどうしても無理で、口に入れると吐き出しちゃう。お母さんもすごく困ってて、いくつも病院を回ったんです。で、ようやく診断名がついたんです」

「そう、よかったじゃない」

「はい。お母さんも、すごく安心されたみたいで。『ああ、うちの子、やっぱり病気だったんだ』って、なんだか晴れやかな表情で。でも、私なんかモヤモヤするんです」

「どして?」

「んー。どしてなのかわからないから、井川さんにこうして相談してるんです」

「えっ、あっ。うん、そうねぇ」

「なんかその子の持ってる雰囲気があったんですね。家庭のことをまったく話したがらないとか、お母さんの態度が急に不安定になっちゃうとか、お父さんの影がまったく見えないとか。そういうふうに感じていたことが、急に『体質の問題』『医学の問題』で片づけられてしまったことに、違和感があって」

「なんだ、モヤモヤの理由、わかってるじゃないの」

ボクがそういうと、彼女は肩をすくめて笑い、ふたたび真剣になって続けました。

「もちろん、診断がつくのは悪いことじゃないんです。それを機に園も周囲も、その子への対処の方針が立てやすくなるし、制度的な支援も受けられる。これは現代医療の成果でもあるし、社会が成熟してきた証でもあると思います。でも、診断名って、本当は『支援の入り口』のはずです。それが、病名がついた瞬間に、もうなにもかもわかったことになって、それ以上、その子の背景には触れないっていう空気になってしまったことに、ずっとモヤモヤしていて」

ボクはうなずきながら、彼女の話を聞いていました。
賢い先生だな、だけどだからこそ、いろいろと苦労も多いだろう。
めんどくさいに逃げずに向き合ってほしいなと思いました。

ボクは長年、不特定多数を相手にしてきたカフェ屋です。
ご想像どおり、毎日、いろんなことが起きます。
お客さんとのすれ違い、スタッフ同士の勘違い。

先だってもトラブルがありました。
ちょっとした言い間違いや伝え漏れが原因で、まあ、たいしたことじゃないんです。

さて、当事者たちスタッフから事情を聞いていると、「今回のことって、私のせいですか?」とむくれるスタッフがいたんです。

(おいおい)

「何かが起きて、それが誰か一人のせいなんてことはないんだよ」とボクは諭します。

すると今度は、「はい、全部わたしが悪いんです」と、なにもかも背負ってしまおうとするスタッフが出てきた。

(おいおい)

「何かが起きて、それが誰か一人のせいなんてことはないのよ」と、ボクはなだめます。

それから一人になってぼんやり考えた。
こっちは忙しいのよ。
グダグダと原因を議論してる時間もないの。
原因を特定して、とっとと終わりにさせたいの。
世の中みんな、そんなふうに考えてやしないか。

「みんな難しく考えすぎだよ。じつはシンプルなんだよ」

そうやって「簡単」を促す言葉が、いまの時代、歓迎されているのも、めんどくさいことに関わりたくないという風潮があるのかもしれません。

もしかすると、生きることが大変すぎて、これ以上、負担を抱えたくないのかもしれませんね。
他人のこと、世間のことはよくわかりません。
狭い世界で生きているので。

ただボクは、MAMEHICOをよくしたいと思っています。
MAMEHICOを通じて、誰かの人生をよくしたいと思っています。

そのMAMEHICOですが、実にめんどくさいことの連続です。
そのめんどくささに、どこまで耐えられるか。
ボクはMAMEHICOの修行僧です。

ヒトと関わること、それそのものがめんどくさいことですから、そりゃ一人で好きにやれるなら、そのほうが楽に決まってます。
でも。寂しさや孤独を感じ、ヒトのそばにいたくなる、それもまたヒトなのです。

一緒にいて楽なヒトとだけ過ごすわたしの人生。
そんなもの、どこかファンタジーじゃないかとボクは思ってしまいます。
ヒトが集まり、ぶつかって、ややこしくなって、そのややこしさをも、時間をかけて乗り越えていかないことには、MAMEHICOはよくなりません。

スタッフに「もっとみんなで何かをやる耐性をつけろ」とボクは言います。
みんなで何かやるたびに、あいつヤダこいつウザいと、いちいち難癖つけてたらことはなにも進みません。
その結果、社会は、小さな『アトム』の集まりになり、結果、世の中とてもとても悪い方向に進んでしまうのは歴史を見ても自明の理です。

めんどくさい課題はすぐに解決できないことばかり。
そのめんどくさいを抱えたまま、解決できる時を辛抱強く待つのです。
その間、問題を認識しているなら、なぜすぐに解決しないんだと避難されるかもしれない。
それでも、辛抱強くめんどくさいに向きあうかどうかが、世の中をよくする鍵なんだとボクは思います。

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