こんにちは。MAMEHICO東京スタッフの前島由紀です。
MAMEHICOには、「お弁当クラブ」という取り組みがありました。
前日までに予約をすると、曲げわっぱに詰められた手作り弁当が受け取れるというもので、コロナ禍をきっかけに始まり、三年ほど続いて、去年の暮れに一旦おしまいとなりました。
私にとって、お弁当クラブは特別な存在です。
というのも、私はこの「お弁当クラブ」をきっかけにMAMEHICOに関わるようになったからです。
初めてその存在を知ったのは、井川さんが配信していた「天才よち丸ラジオ」。
当時の私はまだスタッフではなく、ただのリスナーでした。
ラジオで「お弁当を始めるらしい」と耳にし、「むむむ…これは気になるぞ」と心が動いたのを、今でも覚えています。
MAMEHICOの料理がどれも美味しいのは知っていましたが、「井川さんの作るお弁当を食べてみたい」「井川さんの味を味わってみたい」という想いと、コロナ禍のMAMEHICOを応援したい気持ちとが重なり、思い切って入会しました。
お弁当の記憶は、いまも鮮やかです。
最初に食べたお弁当は、カリカリ、ホクホク、ポリポリ、甘い、酸っぱい──味と食感のバランスが絶妙で、玄米ご飯もとても美味しく、心も体も満たされるものでした。
仕切りをあえて使わないことで、おかず同士の味が少しずつ混ざるのもまた楽しく、まさにお日様の下で食べたくなるようなお弁当でした。
ほかにも印象的だったのは、チャットワークというアプリを通じて、作った人に直接感想を伝えられること。
「じゃが芋が美味しかったですー!」と送ると、「それ、里芋ですよ〜」と返ってきたり(笑)。
ただ食べて終わるのではなく、感想を伝えたくなるような丁寧な仕事ぶりに、自然と会話が生まれ、お弁当がまるで手紙の交換のような嬉しい体験でした。
お弁当とともにあった日々。思い出も、数えきれないほどあります。
初めて「いかひこ塾」に参加した時のお弁当は、緊張のあまり味がよくわからなかったこと。
後日、お店で一人でじっくり味わいながら食べたお弁当の美味しかったこと。
親しいお友達にお裾分けしたら「美味しい!」と喜ばれ、私が作ったわけじゃないのに、なぜか誇らしかったこと。
MAMEHICOの遠足では、みんなでシートを広げて、笑いながら一緒に食べたお弁当も楽しい思い出です。
中でも忘れられないのは、お弁当がきっかけでスタッフになり、慣れない仕事で疲れていたある日。
MAMEHICOの先輩が、そっと私の分のお弁当を持ってきてくれて、閉店後、一緒に一口食べた瞬間──その温かさに、思わず涙がこぼれました。
MAMEHICOのお弁当には、そうした人の気持ちが、いつも詰まっていたのです。
「作った人の顔」が見える温もりのあるお弁当。
しばらくお休みしていたMAMEHICOの「お弁当」、新しい形で再開します。
あの温もりがまた戻ってくると思うと、私はスタッフなのに、とても心が温かくなるのです。

MAMEHICO特製お弁当
各店にてご予約承っております。