【20th】お客さん、だけじゃない関係

こんにちは。MAMEHICO東京メンバーの横田理恵子です。

私がMAMEHICOのイベントに初めて参加したのは2014年。
味噌会というイベントでした。
それから、かれこれ10年以上通い続けています。

MAMEHICOの歴史にとって、2014年は大きな転換点だったんじゃないかって、そんな気がしています。

それまでも、井川さんはお店を舞台に映画を撮ったり、お芝居の公演をやったり、クルミドコーヒーの影山さんとマメクルというトークイベントをやったり、M-Hicoというフリーペーパーを作ったり、ラジオ番組を配信したり、いろんなカタチで創作や情報発信をしていましたが、2014年からお客さんとの関係性が、大きく変わったように思うのです。

そのきっかけの1つが味噌会でした。
味噌会は1月から12月まで毎月開催されるイベントで、毎回テーマを決めて行われました。
初回は塩について井川さんが2〜3時間話しまくったのですが、「これはとんでもない場所に来てしまった」と、本当に頭をガーンと殴られたような衝撃だったことを覚えています。

味噌会と言いつつ、まったく味噌の話をしなかったので、味噌の作り方を教えてもらうつもりで来ていた人は翌月から来なくなりましたけど。
逆に私はその日をきっかけに、毎週のようにマメヒコに通うようになりました。

味噌会は毎月行われたので、参加メンバーと顔を合わせる機会が多く、お互いに名前や人となり、素性を知るようになります。
毎回、ご飯を炊いて味噌汁を作って一緒に食べるという行為も、関係性を深めるのに大切な時間だったように思います。

さらに、味噌会が始まった2014年は、北海道のハタケマメヒコへの遠足も始まりました。
その前からハタケマメヒコはあったのですが、お客さんが遠足として行くのは味噌会があったからこそ。
味噌会メンバーを中心に、5月の種まきから9月の収穫まで、毎月のように遠足として北海道に行きました。

遠足といっても、やることはハタケ仕事。
北海道にしては広くはない敷地ですが、都会暮らしから見れば家庭菜園とは言えない広大なハタケ。
何千本もの手竹を立てたり、無限に生える雑草をとったり、あの手この手で害虫駆除したり、無農薬栽培ということもあって、気が遠くなるような地道な作業ばかり。
それでも、ハタケでしか得られない学びが多くありました。

何より、お客さんが勝手に北海道まで行って(交通費や宿泊費は自費)、お店のメニューに使う豆やカボチャなどの農作物を栽培して(無報酬労働)、それをお店で食べる(客なので飲食代は払う)という謎サイクルは、味噌会とハタケ遠足の中で築かれたマメヒコらしい関係性で、今のMAMEHICOにつながっていると思います。

ハタから見たら本当に謎らしいのですが、私にとっては、こんな贅沢なことがあっていいのかしら?って感じです。
だって、誰がどこでどうやって作っているのかわかる食材で、とてもおいしい食事がいただけるんですから。
この現代社会において、それを実現するのがどんなに困難かは、日々の食生活を振り返ればよくわかるはずです。

それから10年あまり。
変わったこと、変わらないこと、いろいろあるけど、私の中では味噌会が原点です。

お客さんとしてどうお店に関わるか。
MAMEHICOでは、それが問われています。
ここはただのカフェではありません。
珈琲をオーダーして、その対価としてメニューに書いてある金額を払っておしまい、だけではない可能性があります。

あなたがMAMEHICOに何を提供し、何を得るか。
なんか難しいな、面倒だな、と思った人はチェーン店に行くことをオススメします。
何か答えを見つけたくなった人は、ぜひMAMEHICOの扉を開けてみてください。

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