三軒茶屋 神戸 桐生やってます。モーニング推しです。
銀座はメンテナンス中です。2月には再開します。

「MAMEHICO、始めて続ける」を開催するにあたって

ことあるごとに言ってきたんですけど、「専門性というのは平時の論理ではないかしら」と。

専門性は高速道路みたいなもので、最短距離で目的地に運んでくれます。速いし、合理的だし、みんながそこを走りたくなるのもわかる。けどね。それは社会のシステムが安定していて、行き先がはっきり決まっている場合に限ってです。ひとたび大きな地震が起きたり、システムが壊れたりしたとき、最初に止まるのは高速道路です。融通が利かないし、逃げ道もないからです。

そういうとき役に立つのは、脇道を知っていることだったり、場合によっては車を乗り捨てられる勇気だったり、手元にあるもので何とかできないかと考える雑多な知恵です。泥道を歩ける足腰のほうが必要なときはかならず来る。

高速道路が要らないという話じゃないですよ。便利なものには副作用があるという話です。

今の時代は、混沌を極めていると、20年MAMEHICOをやってきたボクは思う。そういうときは整然とした専門知識よりも、一見無駄に見える雑多なものを愛したほうがいい。

これまでボクは、自分の考えをスタッフや身近なヒトにだけ話して、世間にはあまり声高に語らないようにしてきたんです。黙って行動するのが美徳だという意識もありましたし、それを叫んだところで誰も聞く耳を持っていないのは、店をやっていればわかりますから。

でも、コロナがあり、それが終わって、ようやくはっきりと変化が出てきたなと。MAMEHICOは街場のカフェですけど、ボクたちの哲学を言葉にして出していかないと、声の大きいやつらに場が奪われてしまう。そう感じているのであえて、人前でごちゃごちゃと目立つようにしてきているんです。

ここ数年で、世界の空気感はかなり変わりました。AIがどうという技術革新もありますが、何百年、数千年続いてきた価値観の地盤がずれた感じです。底が抜けたと言ってもいい。多様性、平等、弱者保護といった看板だけ立派で中身の薄い価値が、急速に見抜かれ始めています。

ようやくみんな、ちゃんと中身のあるものを求めるようになってきたな。ボクはそんな風に感じている。

話は飛びますが、二五〇〇年前のブッダの話があるんです。当時、ブッダの説法の相手は貧しいヒトだけではなく、むしろ支配層のクシャトリアだったと言うのです。富も地位も名誉もあるヒトたちが、なぜブッダの話を聞きに来たのか。それは全部手に入れたのに、ますますつまらない、という虚無に苦しんでいたからです。虚無というのは、時代が進んでもあまり進歩しない。むしろ今のほうが、虚無の苦しみを抱えているヒトが多いんじゃないかとすら思います。

会社という組織に過剰に適応して、経済成長という正解を信じ、高速道路を全力で走ったヒトが、ふとした瞬間にぽつんと取り残される感じがします。家族や地域とのつながりも切り落としてきた結果、残ったのは孤独だけ。金もある、地位もあった。でも誰にも必要とされていない、誰からも愛されていないと感じる。その耐え難い孤独が、ネット上の攻撃性に姿を変えることもある。これは個人の性格の問題というより、社会構造の問題だとボクは思います。

貧しさに苦しんでいるヒトは今だっているでしょう。そのヒトたちの救済も大事です。けれど、かつて中間層と呼ばれたヒトたち、いや、傍からすればエリート、「羨ましいわ、ご苦労なんてなさそうね」ってヒトたちにこそ、ぎっしりと虚無が詰まっているものだし、それがもうルサンチマンとなって溢れている。

これからの時代をどう生きるか。

もし、組織の競争や数字に疲れたなら、一度高速道路を降りればいい。地位や名誉は平時の飾りにはなりますが、魂の穴は埋めてくれない。ヒントは競争原理の外側に落ちているものです。利害関係のないヒトとの何気ない会話、お金にもならないお手伝いの時間。手間のかかる地域の行事に参加してみてもいい、季節の匂いをちゃんと嗅ぐのもいい。

効率では測れない雑多なものが、孤独をほどいて、生の実感を戻してくれるものです。これから世界がどれだけ混迷しても、自分の足で歩けて、独り歩いて、気の合うヒトと、なんとなく食事をして、資本主義の物差し抜きで幸せだと言える、そういう「強さ」が必要だとボクは思う。

無料メンバー登録
*
*
*
*
    強さ: 非常に弱い