そんなことを突然問われて、答えに窮してしまった自分がいます。(強み、つよみ、強味ねぇ)。
そもそも「強い」とか「弱い」とか。
それはそこに一定のルールが存在して、はじめて成立するものですね。サッカーならサッカーの、将棋なら将棋のルールがあって、その枠組みの中で、相手よりも得点を多く取ったとか、相手の王将を詰むといった明確な勝利条件があって、「あのチームは強い」「あの棋士は強い」と言えるわけでしょう。だからルールという定規が明確じゃない場合には、強いとか弱いとかは、計測不可能になってしまう。
ボクがMAMEHICOの強みとはなにかと答えられないのは、どうもその、明確なルールが無いなかでやってきたからだと思うのです。売り上げを競ってきたわけでもなければ、店舗数を競ってきたわけでもない。ルールなき荒野で、ただひたすら、自分たちが(とくにボクが)面白いと感じる「場」を作ってきました。
たとえば。ガーデニングコンクールのようなものがあったとしますね。そこには審査員がいて、庭に咲く花の色艶だの、花弁の大きさや珍しさなどを競い合ったりするのかもしれません。金賞を取ればそれは「おみごと」と称される世界です。それはひとつの情熱の形ですから、大いに競い合っていただいてかまわないわけですが、一方。
自分の家の庭を、人知れず、丹念に掃き清めているヒトもいるわけです。夏には夏の、春には春の移ろう草花を愛して、落ち葉があれば拾い、石に水を打ち、苔の緑を愉しむ。そんな庭主に「あなたの庭の強みはなんですか?」と聞けば、きっと困った顔をしてこう笑うでしょう。
「これはワタシの趣味ですから」と。
コンクールの基準、つまり「ルール」に照らし合わせれば、彼の庭は評価の対象外です。けれど、その庭に足を踏み入れた誰かが、ふっと肩の力が抜けたり、背筋が伸びるような神聖な気持ちになったりもする。これをずっと維持してきたその庭主の姿勢に、ある種の畏敬の念さえ抱くかもしれません。
そこには、勝ちでもない負けでもない、「美しさ」があるわけです。
「人生には勝ち負けなんてないんだから、ありのままでいいじゃないの」と努力を放棄する安易なニヒリズムに、ボクは真っ向から反発するタイプです。ルールがないからといって、質を問わなくていいわけじゃないでしょ。むしろ逆ではないかね。誰が決めたわけでもない、自分たちの中にある美意識という物差しだけが頼りなのだから、その厳しさは他者との競争以上かもしれないぞ、とボクは自分をいつも戒めています。
庭主が毎日欠かさず掃き清めている庭は、誰がどう見ても清らかで、美しい。その美しさは、言葉を尽くして説明しなくとも、見るヒトの心に直接響くものです。それはルールがあるとか無いとかは関係ないことではありませんか。
ここ数年、MAMEHICOも手探りで進んできたような感覚がありました。霧の中を、足元を確認しながら慎重に歩くような時期だった気がします。けれど、御影も、桐生も、東京も。今年はスタッフの顔つきが、なんとなく違うようにボクは思います。
「もう手探りはおしまい、今年は本腰を入れてやります」
そう腹を括ったような、熱いものがMAMEHICOに秘めているのです。誰かと競うのではなく、自分たちの庭を、毎日、掃き清める心持ち。昨日よりも今日、今日よりも明日、より美しく、より良き場所へと磨き続ける。その積み重ねができないヒトは、一緒にやれない予感がなんとなくするのです。
さてさて。そんなことを考えてた矢先に、サーバー攻撃にあって、セキュリティーが働いてHPがダウンしました。ほんとにいろんなことありますね。みなさま今年もよろしく。



