神戸 暦の手帖|お花の先生・一谷さんと御影城の名残を道草

今月は、神戸・御影に残る古い地名と歴史の秘密を、一谷さんと共に辿る道草散歩です。

散歩の出発点は、山手幹線と御影駅へ向かう交差点「城の前」です。一谷さんは、この地名に潜む「お城」の痕跡を手がかりに、MAMEHICOまでの道のりをゆっくり道草します。

歩き始めると、この一帯には平野、郡家、御影といった古い地名が今も残っていることが分かります。とりわけ、御影二丁目と御影郡家の境界がどこにあるのかは興味深い点です。御影駅前に着くと、一谷さんは「お城跡地」と刻まれた石碑を見つけます。

そこには、南北朝時代に武将・平野忠勝がこの地に「御影城」あるいは「平野城」を築いたと記されており、西は石屋川、東は湿地帯、背後には急峻な山が広がる、自然の地形を活かした要害であったことが分かります。

お城の名残は、街のあちこちに今も息づいています。

深田池は、かつて湿田や沼地を指す「フケ」があった場所で、天然の堀として利用されていたと言われています。さらに古地図では、御影北小学校の敷地がお城の跡であると示されており、その塀を眺めながら、一谷さんは確かに城郭の面影を感じ取ります。

地名の手がかりは、公園にも続いています。

「上の山」は「城の山」、「滝ケ鼻公園」は「竹ノ花(城を隠すために植えられた竹藪)」が語源とされ、いずれも御影城と深い関わりをもつ地名です。

その後、一谷さんは御影城を築いた平野忠勝の足跡をたどり、菩提寺である平等山・中勝寺へ向かいます。そこには、戦いに明け暮れる日々に疲れ果て、「これ以上戦っても何も残らぬ。血を流すより、土に生きよう」と決意し、武士を辞して御影の地で農民として生きたという忠勝の逸話が伝わっています。

中勝寺の隣には、森を抱いた弓弦羽神社があります。

宮司さんから、この地域は昔も今も「だんじり」を中心にひとつにまとまっていると伺い、御影の暮らしと信仰の深さが伝わってきます。

長い時間をかけて積み重ねられた御影の歴史を、一谷さんは道草散歩の中で静かに感じ取ったのでした。