【20th】20年目のまなざし

20周年おめでとうございます。
MAMEHICO東京メンバーの上原靖代と申します。 
2005年の7月、カフエマメヒコが三軒茶屋にできる時から、オープニングスタッフとして働きはじめたのをきっかけに、15周年を越えたあとあたりまで、お店に立たせていただきました。 

まるで、時が倍速で過ぎていっていると錯覚を起こすくらい斬新に変化しながらのマメヒコでの年月。
軸となるカフェの仕事をライフワークに、まっすぐに気持ちを注ぐことができたこと、接客を通じてさまざまな方々に出逢えたこと、ひとえに貴重な時間でした。

一方で 、作家井川さんの脚本を読ませていただくことの興味から、マメヒコピクチャーズ3作品の撮影現場に関わらせていただいたり、その都度、映画やお芝居を通して「物語る」に触れることで 現実の複雑さと非現実のあわい、について考えさせられた時間も沢山ありました。
そういったたくさんの経験を重ねさせてもらったことをとても感謝しています。

かれこれ15年間、「7月1日」は親兄弟の誕生日と同じくらいの感覚でお祝いの日として迎えていたため、マメヒコから離れた場所で生活するようになってからも、この節目の日には手を合わせるような気持ちがありました。
とりわけ今年は20周年ということで ヒトで例えたならば成人、20年の歩み、心からおめでとうございます。

走馬灯のように振り返ったら、振り返りきれないボリュームだったので…、せっかくなので最初のころの記憶を記したいと思います。

オープンした当時は、ここはギャラリーですか?と聞かれることが度々ありました。
また、世の中の喫茶店では堂々とタバコを吸えた時代でしたので、通りすがりの近所の方に「タバコが吸えないんじゃ仕方ないなぁ」なんて言われましたし、一杯700円もするの?って苦笑いもされました。

それでも、Mec(メック: 当時の井川さんの愛称)とオープニングスタッフ6名は、妙な結束感と底知れぬ自信があって、胸を張りながらニコニコとしていました。
一体あのパワーは何だったのかなぁって振り返ってみた時、家具のチカラが大きかったんじゃないかなぁって思うのです。

出来上がったばかりの木の香りがするウォールナットの長テーブル。
そして壁一面と天井までの豆棚。
その後にイギリスからアンティークのチャーチチェアが届き、互いの家具が顔を合わせた始まりの光景。
きっと刻まれた時を超え、めいめい気品漂う家具たちがフィットしている空間美。
まだ何も始まっていない自分たちを堂々とさせてくれていた、そんな気がします。

お店を開けていくにつれて、老若男女いろんな方々がお茶をする場として囲む光景になり、 羽を休めるかのようにそれぞれの時間をお過ごしになり、羽を広げるようにして次の場所へお店をあとにされる。
その絶え間なくお迎えしてお見送りをする日々は一度と同じ瞬間はなく、愛おしい日々でした。

だからこそ、家具のメンテナンスや日々のお掃除は、どんなに忙しくても欠かせないとても大切な時間でした。
想像するに今もなお、その連なりが20年の軌跡でした。

最初のことを少し思い出して綴ってみましたが、2005年のカフエマメヒコの一粒の種から、いまの立体的でユニークなMAMEHICOの姿。
ワタシはいま長野県軽井沢町で暮らしています。
今の季節の身近な果物で例えるならば、香りも味もさまざまな品種のプラムの実が、めいめいたわわに実っている姿のように想像します。

枠にとらわれない関わりかたや、助け合い、運やタイミングでの引き合わせ。
MAMEHICO、さらなる実りが豊かに美しく育まれますよう応援しています。