こんにちは!MAMEHICO東京メンバーの永井宏佳(ひろし)です。
ただいま、YouTube連続ドラマ『ノッテビアンカ』を紹介しています。
劇中では、高井セツオ役を演じています。
さて、vol.7-1を改めて見直して、「居場所」について考えさせられました。
セツオは姉夫婦宅の居候になり、マイコの実家は焼け、ハルエのカフェは閉店間近、タケシは見捨てない不動産を始めたいと言う。
トシコの言うように、「1人でひとつづつ」を所有する時代から、「みんなで共同生活」の時代になるのでしょうか。
ところでぼく自身、セツオを演じていた当時から、住環境が変わりました。
今は妻子と別居をして、自宅近くのアパートに住んでます。
夫婦別居って響きは悪いけれど、やってみると悪くない。
一人暮らしって、ほんとに楽ちん。
家具も家電も、「1人にひとつづつ」なので、好きなものが選べる。
家に帰るのが遅くたって、夕飯にお菓子を食べたって、お片付けをサボったって、全部が自由。
誰にも文句を言われない。
何も気を遣わなくていい。
ずっと誰かと一緒に、過ごしてきたぼくにとって、一人暮らしの1DKは、生まれて初めて手に入れた楽園です。
ところで、庭を意味する「garden」の語源は、ヘブライ語の「gen(囲まれた)」と「eden(楽園)」に由来している、と聞いたことがあります。
庭は自由な場所ではありません。
季節、天候、動植物など、様々な外的要因に左右されます。
自然とうまく折り合いをつけて庭は作られる。
ユダヤ人にとって、edenは1DKのことではないみたいです。
最近、オフの時間に友人とお茶をすることが増えました。
煩わしく感じていた妻とも、離れて住んでからの方が、たくさん話すようになりました。
おひとりさまを、満喫しているはずなのに、不思議ですね。
ほんとうの楽園って、悠々自適な一人暮らしや、かけがえのないたった一つの家族、みたいな「囲われた」ものではなくて、他者との緩やかな、共生の積み重ねの中に、あるのかもしれません。
ノッテビアンカ(白夜)の終焉。
長い極夜の時代。
経済的自立が、一人前の代名詞だった時代から、依存と孤独の間に、「自立」を見出す時代。
家族、友人、同僚、近所の猫、行きつけのカフェ、遠い昔にもらった七福神の置物、木造アパートの2階から聞こえてくる足音…。
本編を観ながら、あなたにとっての居場所について、考えてみてください。

連続ドラマ「ノッテビアンカ」
全8話(vol.1〜8 Act.1,2,3/24回)