【20th】耳でつながる

20周年おめでとうございます!MAMEHICO東京メンバーの藤田さおりと申します。

MAMEHICOを知ったきっかけは、2015年の秋。
オススメのカフェを検索して見つけた「焼き林檎」でした。
そそられるままホームページを開くと、一度には読み切れないほどの読み応えあるブログと、ラジオのストック。
本物の焼き林檎を食べに行けるまでには3年近くかかりましたが、その間、過去のラジオを遡って聴き続ける日々が始まりました。

ご飯の支度や家事をしながら、時には家族との団欒中も片耳イヤホンをつけて聴いていたので、家族からは「一体いつも何を聴いているの?」と不思議がられることもありました。

そんな私が、ずっと行きたかった宇田川町店に足を運べたのは、2015年のクリスマスイブ。
ホームページの情報から狙いを定めていたカンボジアプリンに豆豆サラダ、円パン、深煎り珈琲は、期待を裏切らない美味しさでした。

そのときは入口近くのカウンター席に通されたので、ブビンガのエリアには恐れ多くて行けなかったけれど、奥の方でちらちらと見えたツリーに惹かれ、「あれをまた観に来よう」と心に誓いながら、マメヒコ出版のフリーペーパーをごっそり持ち帰り、ラジオに浸る日々が続きました。

そして、またあっという間に一年が過ぎ、二回目の来店にして、いきなりのイベント参加。
「井川さんの本音」というイベントでした。
何を話すのか予測不能なイベントでしたが、ブビンガに座りながら生の井川さんを見てみたい──そんな興味もありました。

ラジオにハマってからの二年間、私は井川さんがブログとラジオで語っていたことを、ただ読んで聴いているだけでしたが、どっしりとしたブビンガで味わうお食事、NYで買い揃えたクリスマスツリーのオーナメント、お水のレトロなタンク、こもりたくなるような柔らかな照明のトイレ、テーブルに置かれたシュガーポットに入った小さな角砂糖(よく食べました!)などなど、お店の隅々から井川さんの美意識や空気感を感じ取ることができました。

その日を境に、イベントにも少しずつ参加するようになり、スタッフさんや常連さんと顔なじみになっていきました。
同時にラジオにもお便りを書くようになり、ペンネームを持ち、ちょっとした“お便り作家”気分も味わいました。
友達への手紙ぐらいしか書いたことがなかった私にとって、「変態性を出して欲しい」という井川さんの要望は、未知で新鮮でした。

とはいえ、本物の作家ではないので、物語を創作する才能はなく、自分自身の人生そのものがネタ。
毎週のテーマに沿って、自分の体験を、時にドラマチックに、時に面白おかしく切り取り、決まった尺にまとめ上げていくうちに、ささやかな出来事でさえ、かけがえのないものだったことに気づけました。

私のお便りに感銘を受けてくださり、直接メールをくださった方とはまだ一度もお会いしていませんが、今も時おりメールを交わしています。
仲良くなったスタッフさんやお客さんとは、時々プライベートで連絡を取り合ったり、イベント以外でも会ったりするようになりました。

現在は、両親の介護やライフステージの変化もあり、以前のようにイベントには参加できず、お便りも書いていませんが、遠方にいる私にとって、昔も今もラジオの存在は大きいです。

容易にお店に通えない私にとって、ラジオを通してMAMEHICOを知り、お便りを通して私自身のことを知ってもらえたと思っています。
何より、私自身が私自身のことを知った、という感覚でしょうか。
夢中になってお便りに取り組んだあの時間は、かけがえのない体験でした。

ノミの心臓でありながら、ただ眺めているだけでは物足りない私なので、またどこかで井川さんの面白い仕掛けに乗って、相応しい形で参加できる日が来るのを楽しみにしています。