みなさま、こんにちは。MAMEHICO東京メンバーのかんなみと申します。
それはもう、15年ほど前の学生時代にまで遡ります。
当時の私は、渋谷のセンター街にある公務員予備校で、事務のバイトをしていました。
時間の有り余る学生時代は、ひとりで街を散策するのが大好きで、バイトまで少し時間があるときは、あえて地図を見ずに、渋谷の街を気の向くままに歩き回っていました。
個性的なお店との、唐突な出会いが好きだったのです。
ある日、宇田川町をふらふらと歩いていたとき、大層頑丈そうな木の扉を構えたカフエを見つけました。
打ちっぱなしのコンクリートの二階建てのビル、その奥まった1階のスペースに、その重厚な扉はひっそりと佇んでいました。
中の様子はまったく見えず、普通なら敬遠してしまうようなその扉が、なぜか私はとても気になりました。
何度かその前を通り、ついに入店。
平日の夕方、夜というにはまだ早い時間帯。
お客さんは、たしか私ひとりだけだったと思います。
──そこが、カフエマメヒコ宇田川町店でした。
閉店してしまった宇田川町店には、小さな舞台がありました。
たまに演劇や映画の上映が行われていたようで、店内には外の光が入らないよう、どんちょうのような赤いカーテンがかかり、赤いカーペットが敷かれていました。
入った瞬間に感じたのは、赤いカーテンの色と、木のテーブルの深い茶色。
とにかく、いい意味で「ここは本当に渋谷?」と思うほどの、独特で静かな空間でした。
そして、なんとも言えない落ち着きがありました。
洗練された空間に、当時学生だった私はすこし緊張しました。
何を頼めばいいかもわからず、とりあえずコーヒーを一杯。
すると、店員さんが話しかけてきました。
「いま、お店の冊子を購入していただくと、コーヒーが一杯無料になります」と。
──ん?それなら、コーヒーに冊子が付いてくるんじゃなくて、冊子にコーヒーが付いてくるのでは?と心の中で思いながら、素直に冊子を購入しました。
当時のメニュー表も、いい意味でちょっと変わっていて。
口語調で、語りかけるような説明が添えられていて、ついつい読んでしまうのです。
洗練された、静かな緊張感のある店内と、時おり顔を出すユーモア。
その絶妙なちぐはぐさが、なんだかクセになって──気づいたら、私はマメヒコに通うようになっていました。
コーヒーだけでなく、ごはんもデザートも、どれも目が覚めるほど美味しくて。
大味に慣れていた私の味覚が、急に洗練されていくような、そんな感覚すらありました。
友達にも、よく紹介していました。
やがて社会人になり、仕事やプライベートがうまくいかないことも増えてきました。
そんなときも、マメヒコに足を運んでいました。
ただ、心地よい空間で、美味しいものをいただく──
それだけで、じゅうぶんだったのです。
流行りのお店とは違って、マメヒコには「静かな調べ」のようなものが、いつも店内に漂っていました。
思えばそれは、丁寧に積み重ねてきた、この場所ならではの空気だったのだと思います。
手の行き届いた内装、選ばれた食器、流れる音楽、スタッフの接客──
そういうひとつひとつの要素が溶け合って生まれた空間で過ごす時間は、どこか心が浄化されるような穏やかさがありました。
お店を出るころには、体のなかの毒が抜けたような気がする。
そんな感覚が、たしかにありました。
学生から社会人へ──そんな多感な転換期に、ずいぶん助けられていたのだと思います。
「今日はマメヒコに行こう」
それだけで1日の予定ができて、人と会う気分でないときでも、ひとりで足を運ぶだけで、気持ちが満たされました。
やがてイベントにも参加するようになりました。
その後、30歳手前で転職し、仕事が多忙に。
結婚やコロナなど、生活の変化も重なって、いつの間にか以前のようには通えなくなっていました。
今では、渋谷にマメヒコはありません。
(かつては宇田川町店、公園通り店、マメヒコ飯店──どの店舗も、それぞれに素敵で、お料理も本当においしかった)
けれど、お店の場所が変わっても、あの店内に流れていた空気感はきっと変わらない気がします。
だからこそ、MAMAEHICOはこれからも、外見を変えながらも、変化の激しいこの世の中で、ひっそりと佇み続けるのだと思います。
「カフエには出会いと別れがある」──
そんなセリフが、自主制作映画のなかにもあったような気がします。
私はいま、育児に奮闘する日々。でも、別れっぱなしにはしたくない。
また訪れる日を、楽しみにしています。
今回の20周年を機に、あらためて想いを寄せるのでした。



