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たぬきポンポコ

もうすぐバレンタインですね。MAMEHICOではこの時期の目玉として、昭和のケーキ屋さんにはよく並んでいた、あの懐かしの「たぬきケーキ」を復活させました。ホームページでも「たぬき、たぬき」と随分推しています。

ところがこのたぬき、全く出ないんです。一緒に並んでいる檸檬ケーキのほうが断然売れている始末。

気合を入れて「たぬきポンポコ祭り」とスタッフはたくさん作っているのに、売れ残ってしまう。今日はそんな悲哀と、そこから考えさせられた「顔のある食べ物」についてのお話です。

売れ残ったたぬきの「里親募集」

お正月休みが明けて、気合を入れて「たぬき」を作ったものの、やっぱり出ない。三茶で焦ったうちのスタッフのトモは、売れ残った「たぬき」の写真をチャットにあげたわけです。

ガラスのジャーか何かに、出番のないたぬきがギチギチに詰め込まれて冷蔵庫に入っている写真。正直、怖い。

それに添えられた言葉が

「今日は、あと11匹、旅立ちの準備をしております。
手間暇かけた子供たち…。ちゃんとお嫁にいくといいなぁ…!
皆さんなんとかしてね(引き取り手待ってます)」みたいな内容なの。

正直、その投稿を見てちょっと複雑な気持ちになりました。なんか、人身売買みたいなんですよ。

「人権」ならぬ「たぬき権」としてどうなのか。

狭いところに押し込められて「誰か貰ってください」と並べられている様子が、なんだか切ない。と言ったって、「愛着を持って引き取って(里親になって)」と言いつつ、引き取られた直後にナイフで切り刻まれて食べられる運命なわけですから。「可愛がって」と「食べて」の間に、すごい矛盾がある気がするわけです。

「顔のあるもの」への愛着と矛盾

そこで思い出したのが、昔うちのおばあちゃんが言っていた言葉です。「顔のあるものは嫌ね」と、家に人形などを置くのをとても嫌がっていたんですね。捨てるときに困るからでしょう。

やっぱり、目があるものには愛着が湧くのが人間です。目が合うと「あ、こっち見てる」と思って情が移る。車なんかもヘッドライトが顔に見えるようにデザインされているのは、愛着が湧いてほしいからでしょう。

愛着が湧くことと、食べること、これは相容れないはずなんですよ。愛着が湧いたら、可哀想で食べられないのが人情だから。

冷蔵庫の中で寂しそうにしている写真を見せて「里親募集(食べてください)」というのは、構造的にちょっと嫌だな、と。「このままだと保健所行きです」みたいな犬猫の里親募集を見せられているようで、なんか複雑な心境になる。

もちろん、売れ残れば廃棄(ゴミ箱行き)になってしまうので、食べてほしいのは山々なんだけど……。「顔のあるものを食べる」というのは、なかなかね。

実は美味しい、けれど中身は…

そんなことを言いつつも、その「たぬき」味は美味しいんですよ。

  • 胴体はロールケーキ
  • 下はチョコスポンジにチョコクリーム
  • そこにラズベリーソースをまとわせて
  • バタークリームでできた頭部が乗っている

ただ、ここにもまた一つ問題が。いざ胴体を食べようとナイフを入れると、中のラズベリーソースがまるで「血」みたいに見えるんです。美味しいんですけどね。これも一種のブラックジョークというか、洒落だと思って楽しんでもらうほかありません。

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1日2匹の縁起物として

色々と言いましたが、信楽焼の置物などのように、「たぬき」は昔から縁起物とされています。だから、MAMEHICOの「たぬきポンポコ」も、1年に1頭食べる縁起物くらいの感覚。

檸檬ケーキの陰で、木の葉に隠れるようにひっそりといる。スタッフも量産せず、「1日限定2匹」くらいにしてもいいかもしれない(笑)。

「あ、今年も奇跡的にたぬきに会えた、ラッキー!」

そんな風に楽しんでもらえたらいいなと思います。もしお店で見かけたら、そんなブラックな要素も含めて、ぜひ可愛がって(食べて)あげてください。