【20th】いちじくひとかけらの記憶

このたびは、20周年おめでとうございます。
MAMEHICO東京メンバーの五嶌美幸と申します。
初めてMAMEHICOにお邪魔したのは、昨年開催された「面白マイク」の観覧でした。
第一印象は「なんて贅沢な空間」、そして注文したみかんジュースが「濃い!」。
幼い頃から身近にみかんがあった私にとって、衝撃の体験でした。

MAMEHICOとの“初めまして”は催しものでした。
だから私にとってMAMEHICOは、ただ美味しいものを出すカフェではありません。
常に心を揺さぶるメッセージを投げかけてくれる存在。
人気メニューが並んでいるだけのお店でもなく、きらびやかだけどどこか嘘のあるライブハウスでもない。
オンもオフも境目がない、「生きたエンターテインメント」。
根底に哲学があり、そこに本気のお料理が添えられている――そんなイメージです。
「表現するとは何か」「生きるとは何か」…これが、私の知っているMAMEHICOの姿だと思います。
…さも知っているかのように偉そうに書いてしまいましたね。すみません。

そんな「カフェならぬカフェ」MAMEHICOの、20周年記念パーティに先日お邪魔しました。
面白マイク観覧が2回とお芝居が2回、つまりお店に行ったのはまだ4回。
MAMEHICO歴1年弱の新米が行ってよいものか、とても迷いましたが、「えいっ」と行くことに。
当日は出てくるご馳走を皆さんとシェアし、みなさんのおしゃべりも楽しく聞かせていただきました。

そのお料理の中に、立派なサラダがありました。
桐生・紫香邸で育ったという丹精込められたお野菜たち。
そこにいちじくが入っていました。
サラダにいちじくなんて珍しい、と思いながら口に入れると、思いがけず父を思い出しました。

いちじくたったひとかけら。
それだけで、疎遠にしている父のことがよみがえったのです。
父が好きなわけではありません。
むしろ今は、遅れてやってきた大人の反抗期の真っ最中。
気持ちに折り合いがつかない中で降って湧いた、困った出来事でした。

舞台では、荷車に楽器を乗せて売り歩いていたというおじいちゃんの思い出を話してくださるスタッフさん。
ピアノは優しいノクターン。
止めようと思えば思うほどあふれる涙。
幼いころに何気なく見聞きしたことが、はっきりとした記憶として残っている。
因果のない事柄がきっかけとなり、胸の奥からとめどなく思いがこみ上げました。

人生は分からないことだらけです。
誰に助けを求めたらいいか、どうやってこの暗闇を抜ければいいのかもわからないまま、ここまで来ました。
この年でようやく、絶対権力にNOと言えるようになった自分を褒めたい。
自分自身を大切にできるようになった自分を認めたい。
そして価値観の溝は埋まらなくても、いつか互いを尊重できる関係になれたらいい…そう思います。

さて、パーティは「平服でお越しください」との案内でした。
間に受けた私は、当日も普段通りの格好で伺い、お祝いの言葉を述べるでもなく、ただただ自分のことをおしゃべりして帰ってきました。
これでよかったのかしら?と、ぼんやり考えました。

もし会場が華やかに着飾った人ばかりで、お祝いと拍手の嵐だったなら?
面白くない話に愛想笑いを浮かべ、どこかで聞いたような話が2時間、3時間と続いていたなら?

「ああ、これで良かったんだ。」
そう思いました。これがMAMEHICOなのだと。
普段のままでいさせてもらえる場所に巡りあえたことに、心から感謝しています。
改めて、20周年おめでとうございます。