木陰で麦茶を

「平家物語」を少年のとき読んで、印象に残った箇所がある。
それは、平清盛が晩年、突然の高熱に見舞われたときのエピソードだ。

清盛の高熱は、ちょっとやそっとではなかった。
今の医学だとマラリヤだったろうと言われている。
その清盛を冷やそうと、家臣たちは水風呂を用意した。
清盛を冷まそうと浸けると、なんと、瞬く間に水風呂はボコボコと熱湯になったというのだ。

このエピソードを読んだボクは、子供心に「まっさっかーっっ」と突っ込んだものだ。あれから40年。
うだるような夏の暑さを迎える季節になると、ボクはこの平清盛のエピソードをなぜか思い出す。

さて。もはや気温が、人間の体温を超えるのは当たり前になって久しいこの頃、皆様、いかがお過ごしですか?
こう暑いとクーラーの無い世界では、生きていくことはできない気さえしますね。

そもそもボクが子供だった頃はこんなに夏は暑くなかったはずです。
学校のプールは冷たく、色白の女の子は、いつも唇が紫になっていた記憶がある。
ところが、いまの学校のプールはどうなんだろうか。
おそらく、平清盛のごとく、ボコボコと熱湯になってしまってもおかしくないだろう。
実際、コンビニに車を止めておいて、戻ってきたら車内のペットボトルの水が、熱々のお湯になっていたこともある。

ひょんな縁から、群馬県は桐生市で、MAMEHICO紫香邸を始めたボク。
始めてしまったと言ってもいい。桐生を選んだボクは、桐生の夏を知らなかったのだ。
ただでさえ暑い、近年の日本の夏。
そのなかで、ほかの追随を許さない、ぶっちぎり最高気温一位を記録し続けているのは、ほかならないKIRYUだ。

そもそも。まだ梅雨開けもしてない7月5日に、桐生はすでに37.5度を観測していた。
その後も梅雨だっていってるのに、37.8度、38.0度を記録している。
先日は、なんと39.7℃を叩き出して余裕の笑みを湛えたKIRYU。

桐生で日中に歩いているヒトをみかけることはない。それでは、商売上がったりだ。
桐生のとあるお店は、「暑さ日本一を観測した日は、かき氷を100円で販売します」というキャンペーンを打ち出した。
しかしテレビニュースは、連日、桐生を映しだし、「危険な暑さだから外に出歩かないように」、と呼びかけている。
まったく余計なお世話だが、命の危険があるから出歩くなというニュースに、100円のかき氷はどこまでお客に刺さるのか。

そんな桐生にある紫香邸だが、申し上げにくいが、クーラーを設置していない。 
「え゛っ、ここまで暑い暑いと言っといてアータ。クーラーを設置してないってどゆこと!?」
店内は暑くないのか。いやとても暑い。ものすごく暑いです。
もともと。昭和初期に建てられた木造家屋である紫香邸に、クーラーは設置されていなかった状態で、ボクは引き受けた。

もちろん、前のご主人に何度も確認したんです。
「あの、こちらにはクーラーが設置されてませんが、夏は暑くないんですか?」と。
ご主人は「あなたね、古い家は涼しんですのよ」とてへへと笑った。

答えを真に受けたボクはこう思ったものだ。
「そうかぁ、古い家は涼しいのかぁ。なるほどな。クーラーがあるのが当然と思いこんでいた自分は、都会っ子なんだなぁ、いやいや」
そう恥じて、食品を扱うキッチンにだけクーラーを設置し、客席のクーラー設置は見送った。
ところが、どうだ。古い家でも暑いものは暑い。

夏の庭は、雑草がすぐに伸びる。
草刈り機で刈り込まなくちゃいけませんのです。
それでボクは桐生に滞在しているときは、草刈りをするのだけれど、暑くて暑くてやりきれない。
作業を中断し、へとへとになって縁側に座る。

大きな大きなせんだんの樹が木陰を作ってくれている。
木の枝には丸い実がいっぱいついている。その下で麦茶を飲んだ。
そのとき、ふーっと心地よい風が拭いてきた。
クーラーや扇風機とはまったく違った、山の冷たい風が、ボクの前を抜けていった。
とてもとても涼しかった。

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