【神戸】御影の街とMAMEHICO_その1

みなさん、こんにちは。MAMEHICO神戸・御影店長のシゲです。

まだ御影のお店がオープンする前のはなし。
忘れもしない2022年の2月。
ボクはカフェをやると決めたからにはどっちつかずになるのがイヤだったので、腹を括ってサラリーマンを辞めた。さあ、恐怖の無職の日々である。

それからというもの、地元の大阪で本格的にテナント物件探しを始めたのだが、なかなか良いところに巡り会えず、物件探しは困難を極めていた。

そこで、兵庫、京都、奈良、和歌山などの関西一円に対象エリアを広げてみることにした。
ネットに乗っていない物件もあるのではと思い、ローラー作戦で実際に街を歩いては、藁にも縋る思いで地元の不動産屋に飛び込み続けた。
しかし、門前払いは当たり前。経営経験や開業資金を問われ、足元を見られては撃沈する日々が続き、メンタルも崩壊寸前だったように思う。

そんな時にたまたまネットで、この御影ガーデンシティの物件を発見したのである。
当時の大阪の自宅から車を飛ばし、御影という街の雰囲気も知りたかったので、駐車場で張り込みをしたり、辺りを散策してみたりもした。

しかしながら、御影の山手は住宅地で人通りが少なく、とてもじゃないけど商売にならないのではないか。

ボクは忙しい井川さんに報告するのをためらっていたのだが、妻のみゆきが珍しく引き下がらないので、渋々、連絡をしてみたのだった。
そして数分後にきた返事にはこう書かれていた。
「明日、東京から見に行く」と。
井川さんは来るなりここにしようと言った。
山も海も近くて、自然が残っている。
そして、「気」がとてもいい。
人通りは少ないけれど、ここで商売になるようなことを考えてみようではないかと。

開店にあたり、御影のことを色々と調べてみた。
山手の方は隣接する住吉エリアと合わせて、関西を代表する高級住宅地として知られる。
明治から昭和にかけては財閥や資本家ら富豪が住む大邸宅が点在しており、東京の田園調布や芦屋の六麓荘とは桁違いの日本一の長者村とも呼ばれたらしい。

今ではその跡地が美術館や博物館になっていて、文化的な匂いも感じる。

また、六甲山麓から湧きだす良好な水源は「宮水」と呼ばれ、酒造りに適した風土に恵まれた日本一の酒どころ。
海側には酒どころの総称である灘五郷のうちの御影郷があり、白鶴や福寿、菊正宗など酒蔵が並んでいる。
まだ御影ガーデンシティができる前、この地は白鶴酒造の土地で、今でも住宅棟は「メゾン白鶴」という名を冠する。

東京のお客さんにも御影出身の方が複数いらして、御影はいいところだよとおすすめしてくださったり、マメヒコの家具を作り続けてきた家具工房のるすくさんも、近くにショールームをオープンされたり。
色々な物語やご縁が繋がって、この御影という地でカフェをすることになったのだ。

お店を続けていくなかで、生粋の御影で生まれ育ったお客さんから、この街のことを教えてもらうたびに、ますます魅力的に感じる。
昨秋、御影の街を一望できる山手に移り住んだ。
そして、お店はオープンして1年と10ヶ月が経った。
僕たち夫婦はこの御影の地で何ができるだろうか。
御影の街での挑戦はまだまだ続くのであります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

SHARE:

関連記事

RELATED POSTS