神様の大掃除

MAMEHICOもね、毎日、朝から晩まで掃除です。
神社のように掃除してほしいとスタッフには言ってますから、宗教団体だと思われるかもしれません。笑
若い子に言うんですよ、「汚れたから掃除をするんじゃないよ、汚れないように掃除をするんだよ」と。

掃除って、つまり「お祓い」です。
日々営業してたら、色んなヒトが店にその「穢れ」を落としに来るんですから、店を続けていくとき、「お祓い」はとても大事だとボクは思うんです。
ただ、日々の「お祓い」だけでは済まないこともあるよなとも思っていて。

これは『古事記』のはなし。
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、亡き妻である伊邪那美命(いざなみのみこと)を追って、黄泉の国(よみのくに)へと向かう、そんな話が出てきます。

夫が妻を追っかけて黄泉の国で目にしたのは、妻の変わり果てた姿。
美しかったはずの妻の体は腐り果て、ウジ虫まで湧いている。
夫である伊邪那岐命は恐くなって、ついには黄泉の国を逃げ出します。

それで、黄泉の国から戻った伊邪那岐命は、黄泉の国の穢れを祓おうと「禊(みそぎ)」として身体を洗う。
するとすると。なんとも不思議なことに、そのとき神様が生まれた!?と書かれてる。

まず、左目を洗ったら、天照大神(あまてらすおおみかみ)が生まれたんだと(エッ、ナンデヤネン)。

次に右目を洗ったら、月読命(つくよみのみこと)が生まれたと(エッ、エッ、ナンデヤネン)。

そしてそして、鼻を洗ったら、須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれたと(ナンデヤネン3)。

天照大神ってあなたね、太陽を司る神様ですよ。
月読命は月を司り、須佐之男命は海や嵐を司る。
もう宇宙を作る滅茶苦茶大事な三人の神様は、なんと穢れた体を洗ったら生まれたんだという話。

これですね。読んだときは唸りましたねぇ。
ナンデヤネンとツッコミは入れたくなりますけど、ボクはこの逸話はとても示唆に富んでいると思う。

今の社会は混沌としています。
いつも混沌してますけど、かなり指折りの混沌に入ると思います。
そんなときは、新しい秩序や世界を創造的に作り変えなきゃならない。
それはみんな異論ないと思います。

で、再生させるためには、まず古くから続いているもの、それがたとえ良いとされてきたものであっても、洗い流せっていう教えが『古事記』なんですね。

時間が経てば外も中も穢れる。
毎日、きれいにしてるといったって、心のなかには澱が溜まって穢れてくるものである。
それを丸ごと水洗いしなければ、神様は現れないよと。

んー。そんなことね、人間には、なかなかできないことを知ってて、「いいから洗い流せ、そうしないと神は現れない」と、言いきってるところが、とても厳しい教訓です。

ボクも年月の中で、いくつもの店を洗い流してきました。
排水口に回転しながら飲み込まれて行った、数々のお店たち。
流されるとき、呻き声を出すんですよ。ウーッていうね。
その声を思い出すとき、胸がキュンと痛くなります。

でもそのおかげで次が開けたのは、事実なんです。
天変地異が起きると、それはとても困りますけど、それはまた神様の大掃除としての意味もあるのかなと思う、秋のこのごろなのです。

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