特別じゃない自分

「お店のことを、考えれば考えるほど、やっぱり私はいない方がいいと思ってしまって身動きがとれないのです」っていうメールが届いた。スタッフからだ。

どうも「自分がいなくなれば、物事は解決する」って考えるやつが多い。
「そもそも、自分なんてちっぽけな存在でしかない」という視点が、テレビを見ていても、広告を見ていても欠けてる。
まっ、そんなこと言ったら物は売れないか、ぼんやりと思う。

だけど。
さんざん、「特別なあなた」なんて嘘を、小さいうちから信じこまされたら、それはさぞ、生きていくのは辛かろうと、余計なお世話だが思う。

「特別なあなた」と同じような文句で、「みんな仲良く」という、インチキな理想主義も、あちこちでみかける。
いがみ合いのない平和な社会を作ろう、もちろん理想はあっていい。
口の曲がったニヒリストより、爽やかな理想主義者とお茶は飲みたい。

だけどそれはあくまで理想なんであって、それを真に受けて、みんなが見知らぬものと握手を求めたら、かえって戦争が増えるだろう。
そんなこと考えればわかるだろうに、と思ったりするが、街角で見知らぬものが、握手を求めている。

「特別なあなた」が「みんな仲良く」を求めたらどうなるか。
「特別なあなた」は「みんな仲良く」を実現するために自己を抑え込む。
「特別なあなた」は自己を抑えることに耐えきれず、心の疲労が蓄積されていく。

やがてブチ切れて、「そうだ。『特別な場所』を探しにいこう」と、旅に出るかもしれない。
もう我慢は嫌だ。だってわたしは「特別なわたし」なのだから。

孤独感や疎外感が強まる、寂しい。
どこかに流れ着く、また同じことが繰り返される。
そんな「特別な場所」など、ありゃしないとなぜ誰も言わないのか。
旅行業や転職斡旋業が儲かればそれでいいのか。
どこまでいっても金儲けなのか。

どうも「子供じみた」理想が蔓延していて気持ち悪い。
「特別なあなた」は、雪道に夏タイヤで出かけてもなんとか…なるわけない。

「現実を視る」、そんな大人はなぜ黙っているのか。
いい大人が、適度な距離感を保とうとせず、他人に媚び自己否定を引き起こす。
いい大人が、他人の悪口を言って対立して、ついには殺したり自殺したりする。

あちこちで子どもの喧嘩にハチャメチャで疲れる。
MAMEHICOでも、毎日子どもの喧嘩が起き、子どもが子どもの喧嘩の仲裁に入って、ハチャメチャで疲れる。

「特別じゃない自分だからこそ愛しい」となぜ学校は教えないのか。
「みんな仲良くなんかありえないのだから、距離を取れ」となぜ学校は教えないのか。
先生までも、子どもなのか。
だったら「先に生まれた大人」の文字に偽りがあるだろうに。

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