
一杯のアイスコーヒーをめぐって、微糖派と無糖派がそれぞれの歴史観を語ります。甘さは喫茶の記憶なのか、それともいま選び直すべき起点なのか。
アイコの主張
微糖派喫茶の記憶としての、ほんのひとさじ。
昭和の30年代から50年代にかけて、大阪の喫茶店の朝は、こんな景色だったんです。開店前、マスターが大きな寸胴鍋でどっさり珈琲を抽出する。そこへ砂糖を放り込んで、ガスコンロでぐらぐら煮溶かしていく。琥珀色に艶が出るまで煮詰めて、冷ましてから冷蔵庫へしまっておくんですね。
注文が入ると、氷を入れたグラスにそのシロップみたいに濃い珈琲を注いで、小さな銀色のポーションで「フレッシュ」を添えて出す。

なぜ、砂糖を事前に煮溶かしたのか。夏場には一日に百杯近く出たからなんです。一杯ずつ淹れて氷で冷やしている時間の余裕なんて、とてもない。だから朝のうちに作り置くしかなかった。ついでに言えば、砂糖をたっぷり溶かしておくと、ジャムが砂糖漬けで日持ちするのと同じで、作り置きの液も傷みにくくなる。甘さは、味であると同時に、ひと夏を乗りきるための知恵でもあったわけね。喫茶店がいちばん賑わっていた、勢いのある時代の話です。
冷蔵庫もある、もう作り置きの甘さなんていらない、と。それはその通りなんです。でも、アイスコーヒーというものが甘さとともに生まれて、その甘さがいい加減なシロップじゃなく、煮溶かした本物の砂糖だった ―― そのことは、伝えておきたい気がするんです。

レイコの主張
無糖派いま飲む一杯は、いまの豆から始めたい。
昔のアイスコーヒーは甘かった。じゃあ、なぜ今は甘くなくていい、と言うのか。答えを先に言うと、甘くしなきゃいけない豆が、日常から消えたからなんです。昔、安い珈琲には、ロブスタという豆が幅を利かせていました。低地でたくさん穫れて、病気にも強くて、とにかく安い。
缶やインスタント、安いブレンドの増量に、ずいぶん使われた。ただ、苦味と渋みが強くて、そのまま飲むには、ちょっと角が立つんです。だから砂糖で、飲みやすくしていた。
ところが、アラビカという豆は話が違うんです。高い土地で、昼と夜の寒暖差のなかをゆっくり育つ。香りがあって、きれいな酸味がある。

ただね、このアラビカ、もともとはずいぶん厄介な豆だったんです。暑さに弱い、高い土地でしか育たない、おまけに「さび病」という病気にころりとやられる。手間がかかるわりに、たくさんは穫れない。だから本当なら、高くて、めったに飲めないものだったはずなんです。それがなぜ、コンビニの一杯にまで行き渡るほど作れるようになったのか。種の改良なんですね。東ティモールで、アラビカとロブスタが自然に掛け合わさった木が見つかった。これがロブスタ譲りの、病気への強さを持っていた。それを親にして、さび病に負けない、たくさん実のなるアラビカが、次々と生まれていった。そうやってアラビカは、だんだん世界の珈琲の真ん中へ寄っていきました。はじめは専門店や自家焙煎の店から。
そして、とうとうコンビニまで来たんです。2013年、セブンイレブンがセブンカフェを始めたとき、使ったのはアラビカ100%。マクドナルドも、スーパーの豆も、アラビカ100%と書いてある。いちばん安い、いちばん日常の一杯までが、隠さなくていい豆になった。隠す豆が消えれば、隠すための砂糖も、もういらないんです。
もう「砂糖を入れなきゃ飲めない」豆ではなくなった。入れるか入れないかを、自分で選べるようになった。それならデフォルトは自分で選べるべきです。
