みりんには「本みりん」と「みりん風調味料」があります。
「本みりん」はもち米、米麹、焼酎を原料として発酵させた調味料で、アルコール度数が約14%くらいある。
だから、酒類販売許可のあるお店でしか販売できません。
一方で「みりん風調味料」は、糖類、アルコール、酸味料、調味料などを混ぜ合わせて作られたものです。
本みりんに比べたらアルコール度数も低い。
だからどこでも売れます。
戦後、経済的に厳しい時期、安くて長持ちする調味料として開発されたものだから、多くのヒトに使われています。
さて。
こういうのって、「どっちがいいのか」ってはなしがあります。
「本みりんとみりん風調味料、どっちがいんですか?」、「みりん風調味料じゃだめなんでしょうか」と。
「比べられるものじゃありませんよ。それぞれに良さがありますから」と、大人が回答する場面をよく見ます。
「みりん風調味料」を売ってるお店のほうが多いですし、使ってるヒトも多いでしょうから、「みりん風調味料」を使うのが悪いという印象を持たせないようにしよう。
気持ちよく使ってるヒトに対し、あえて良し悪し言って不快にさせることはない。
「どちらでも構わないと思いますよ」、それは大人のエチケットだという考えもあると思う。
また、テレビの料理番組だとして、スポンサーである大手食品メーカーに忖度する。
「ご家庭にある、みりん風調味料で十分です」って、料理の先生がにこやかに言う。
アナウンサーがほっと一安心という顔をする、というのもありますね。
これはビジネスです、要は金、ってはなしです。
ただ、「比べられるものじゃありませんよ。それぞれに良さがありますから」って、小学生の子供が答えたらどうでしょうか?
ごめんなさい、たとえが「みりん」だから、わかりにくいですけど、いまの子供たちって、こういう忖度を知らず知らずにしているようにボクは見える。
SNSで「本みりんのほうがみりん風調味料より、断然良いものだ」と誰かが言い切ったとします。
それに対して、「根拠を示せ」だのなんやのと、匿名の誰かが一斉に攻撃してくる。
そんな光景を子供たちは、スマホを通じて知っちゃってるわけです。
その影響はたしかにある。
普段の会話でも、常にキョロキョロして、「言い切らずに曖昧にする」ほうを選んでしまう。
誰に頼まれたわけじゃなし、勝手に自主規制を引いてしまう。
「生姜やわさびをおろし器ですったものと、チューブのもの、どっちが良いのですか?」
「昆布やカツオ、鶏ガラから、時間をかけて引いた出汁と顆粒だし、どっちが良いのですか?」
「それぞれに良さがあると思います」、賢い子ほど、なんでも曖昧に片付けちゃう。
ほんとは、すりおろしたわさびや生姜の、鼻に抜ける香りをすばらしいと思っていたとしても、曖昧にして「どちらも良さがあると思う」と答えてしまう。
本質的なことの確認よりも、多勢に嫌われたくないという空気を無意識に選択してるとしたら、それは不健全だとボクは思う。
長期間、熟成させた本みりんは「みりん風調味料」と比べて別物です。
そう、大人がはっきり答えるべきじゃないか。
別物は、別物なんだから。
目に見えない誰かに忖度する空気が、いまの日本を蝕んでいる。
マスクをなかなか外さない子供を見るたびに、ボクは言い切っているかと、自分を返りみている。