MAMEHICOの短所かつ長所

都会で育ってきたし、都会でカフェもやってますけど、ボクは自然や田舎が好きな人間です。

MAMEHICOがハタケマメヒコとして、北海道で10年以上も土いじりや農園作業をやってきたのも、ボクやボクの周りにも自然好きが多かったからでしょう。
改めてそんなことを言うのは、自然が嫌いなヒトって意外なほど多いなって感じるからです。

昔の中国のはなしをします。
かつて秦の始皇帝が中国を統一するまで、たくさんの都市国家が成立したんです。
いわゆるそれが春秋戦国と呼ばれる時代です。

かつてはみな農村だったわけですから、それが都市になる過程があり、そのなかで様々な思想家が生まれた。
そのひとりが孔子です。
だから儒教というのは中国の都市思想なんだと、これは受け売りですけど、なるほどなって思います。

都市とはそもそも人間が都合よく暮らすためにできたものです。
そのためには規律を守らせることがなにより大切で、予想外のことは忌み嫌いますね。

論語の中に「死ぬこと」について書いてあるところがあるんですが、「我いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らん」と。
死んだらどうなるなんてことは答えようもないと、孔子は答えてないんです。
その一方で、「親が死んだら三年は喪に服せ」と書いてある。
いわゆる道徳です。

都市に住んでいない大多数の人々がいます。
いわゆる農村に暮らす人々です。
こちらは、儒教ではなく老荘思想だったらしいんです。
老子や荘子は、孔子を批判しています。

たとえば孔子が、「きちんと規律を守る人間であれよ」なんてことを書くと、「偉そうに、それができりゃ苦労しないよ」なんていうかたちで孔子を批判しているんです。
ボクもどちらかというと、「それができりゃ苦労しないよ」と思う人間です。

人間がわかっていることなんて、万物のほんの一部じゃないか。
お天気さえコントロールできない。
自分の出生ひとつ選べずに生まれてくる。
人間も宇宙の一部であり、その人間が作為的にコントロールしようなんていうのは、奢りじゃないか。
そういう風に考えてしまう。

眼の前で起きてることは、単純な道徳で裁けることばかりではありませんよね。
いじめた子供が悪くて、いじめられた子供は一方的に可哀想なんてことはありえないわけです。
いじめる方にも、きっと複雑な事情があるのに、いじめはいけませんよ、で片付けてしまうのって、ずいぶんとアバウトではないか。
いやむしろ、そういう風に片付けたことにしないと、忙しいので都会ではやっていけないのかもしれません。

都会育ちでいながら、自然が好きで、儒教ではなく老荘思想のほうに親近感を持つ。
競争や数字といった白黒はっきりつけることよりも、測れないような価値にリアリティを感じてしまう。
そこがボクのやってきたMAMEHICOの、短所でもあり、長所でもあると思っています。

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