料理を始めたのは二十歳を過ぎてからですが、小さい頃から食器は好きでした。
とくに祖父母の家にあった古い食器が好きでした。
食器は日常的に使ってなんぼという考えで、古伊万里や鍋島のような歴史ある陶磁器でも、その美しさを眺めるだけ、使わないという感覚はボクにはありません。
食器は日常的に使うことで、その価値が最大限に引き出されると思っているので、値段が高いからといって特別な機会にしか使わないということはない。
むしろ日常の中で積極的に使いたい、欠けても良いと思います。
土モノの陶器と磁器それぞれに良さがあります。
磁器は丈夫ですから日常使いに、土もののザクッとした大鉢は、料理を作ろうという気持ちが湧くので食事会ではよく使います。
なんといっても食器は料理の一部ですから。
食器に感化されて献立を決めることが多いです。
紫香邸にあるタライほどの大鉢や大皿は、どんと料理が盛り付けられて、作っててもほんとに愉しい。
20人みんなで分け合って食べているのを見ると人間は動物なんだなって思います。
普段遣いは、無地やシンプルなデザインの器です。
6寸ほどの平皿で縁が立ち上がっていて、パスタでもちょっとした汁物、スープカレーとかでもいける。
そんな使い勝手の良いお皿を何種類か持っていて、日常では便利なので一番よく使います。
食器をどうしたらいいかわからないってヒトにアドヴァイス?
自分はなにが好きかわかってるってことが大切かも。
それにはいろんなものを試してみることです。
道端に落ちてた珍しい石や瓦、ガラスの欠片を拾っては御影の飾り棚に並べてますが、なんとなく好きってものは手に取ってみる癖がボクにはある。
拾った石を箸置きにしたり、漬物石にしたり、木の板をまな板にしたりもする。
生活のなかに積極的に好きなものを取り入れることで、自分ってものがわかってくる。
それが大事かもしれません。