面白可笑ひこの主演と、演出を務める永井宏佳と申します。
そろそろ面白可笑ひこの準備が始まるということで、慌ただしくなっている。
この数年、心境の変化を感じることが多い。
変化の原因はいろいろあるのだけど、ここで演劇やドラマをやったことが大きいと思う。
演じることで、自分の押し留めていた気持ちや、心の深いところにある幼児的な部分を、出すことができた。
それを井川さんは「発露」と表現していた。
日頃気を遣いながら過ごしていると、発露をすることができなかったり、発露してる風に見せて実は見せていなかったり、といったことがたびたび起こる。
発露してたらろくな目に合わないという感情が、心に蓋をする。
お芝居という場で発露できたことが、ぼくにとって大きな救いとなった。
それだけじゃない。
作品を作るにあたって、密度の濃いコミュニケーションができたことも大きい。
毎日メンバーと会い、あれは違うこれはそうだとコミュニケーションを取る時間は、人間関係を深めるだけではなく、あまり人を信用しないぼくの心の蓋を溶かしてくれた。
ところで最近、
今まで以上に、人と会うことが多くなった。
話していると、以前のぼくをさらに拗らせたような人にたくさん出会う。
多くの場合、
この「拗らせた人」の表情や言葉の奥にあるものを覗き込むと、「幼児性や押し留めた発露」があることに気付く。
この「幼児性や押し留めた発露」を見つけると、何とも愛おしい気持ちになる。
そう、人は覗き込むと愛おしいのだ。
人の世は世知辛く、愛おしい。
世知辛さだけが浮き彫りになる昨今、
愛おしいものを発露できる場を作っていけたらと思う。
愛おしいものを見つけてしまったので、発露しているだけでは飽き足らなくなってしまった。
このように心境の変化があると、
いるべき場、関わるべき人、やるべきこと、が変わってくる。
必然的に、別れがおきたり、何かをやめることが必要になる。
既存の関係性や場所を失うのは寂しいので、後ろ髪ひかれる。でもそれは脱皮みたいなものなのだと思う。
ともあれ、こういう変化の時期は非常に慌ただしく、稼いでもないのにぼくの管理をしてくれる秘書を雇いたい気分の、今日この頃です。