やりたい、やる、できる

歴史家の塩野七生さんの言葉に「歴史に親しむ日常の中で私が学んだ最大のことは、いかなる民族も自らの資質に合わないことを無理してやって成功できた例はない、という事であった」というのがあるんです。
塩野さんのおっしゃる成功というのは、勝ち負けのことだと思います。
歴史において勝ち続けた者が成功者であり、栄華を一日でも続けた国こそが覇権国です。

これは戦の世界、勝利にこだわり続け傷ついた男たちを幾冊も書かれている、塩野さんらしいリアリティです。

一方で。
成功したからといって幸せとは限らないのよ、勝ち負けではないところに幸せはあるの。
日々の暮らしは親しい家族とともに送ることこそ幸福なのだ、そういう考えもまたあるわけです。
これはどちらも大事、車の両輪と同じです。

たとえば。
父が男が、勝ち負けにこだわる。母が女が、勝ち負けではない幸せを維持し育む。
互いに違う2つがひとつとなって、「世界」ということでしょう。

さて。
ボクは以前にも書いたように、「おばさんおじさん」なのです。
ですから、勝ち負けにこだわる「おじさん」と、日々の生活が大事なのよねという「おばさん」が同居している。

ボクはカフェの店主です。
ですから若い女の子たちと日々仕事をしているわけですが、もうこの女子の厄介なのは、「あっ、それやってみたいです」とすぐに手を挙げる子が多いこと多いこと。

みんなとてもやる気がある子たちです。
希望に満ちた顔をして機会を取りに行く。
ボクの周りはそういうある面では優秀な子が集まってきます。

それは「失敗を恐れず、やりたかったら、なんでも挑戦したほうがいい」とボクが公言しているからかもしれません。

「いまの自分を変えたいんですっ」、彼女たちの強いコンプレックスが、彼女の背中を押します。
「ワタシはクリエイティブの資質がないんです。だから井川さんのところでクリエイティブを経験し、クリエイティブにできるようになりたい、ならないといけないんです。グスン」

ところが。
そういう子に限って、一向にできるようにならないんですよ。
なぜか。
「自らの資質に合わないことを無理してやって成功できた例はない」です。

手を挙げる。やる機会は増える。だけど機会は増えても、早々できるわけではない。
多少の経験を積むくらいで、苦手を克服するようにはならない。負けが続く。
勝率はとことんまで下がり、期待値は暴落し慌てる。

なんやかんやのと社会は勝ち負けです。
荷物を10個、宅配便で出して、2個は届いたけど、8個は届かなかった。
それを「よく頑張った、次はもっと頑張ろうね」とは言わないでしょう。
そんなポンコツサービスは使われなくなって終了なわけです。
社会とはとても残酷な弱肉強食なのです、とくに今の日本は。

宅配便が10個、正確に届いたとて、配送してくれたヒトたちは感謝されるわけじゃなし、もっと安く、もっと速く便利に、失敗は許さない。
そんな社会に幸福が無いと考えるのは、真っ当だと思います。
だけど10個のうち8個届かなかったのに、偉かったねと褒められる社会なんて無いんですよ。

ボクはあるときは女の子たちに、烈火のごとく父親となって諭します。

「いいか。いかなる民族も自らの資質に合わないことを無理してやって成功できた例はないのだ。自分がさほど努力しなくてもできることを探せ。それで社会として認められるようになれ。なければ無心でできることを習得しろ。やりたいやりたくないなんて甘ったれたことを考えるな。自分がやりたいこと、克服したい苦手なんてのは、陰でこっそりと励むものだ」。

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