MAMEHICOスタッフの美香です。
いま、神戸の御影MINIで、『本当に美味しいお茶祭』を開催しています。
一押しの釜炒り茶に加えて、ほうじ茶、烏龍茶、紅茶を一種類ずつ選んで、並べています。
このお茶祭にご協力してくださったお茶屋さんは、いま、福岡県糸島市にお店を作っているなかで出逢いました。
たまたま見つけて買った釜炒り茶がとっても美味しくて…!
飲みやすく、すっと体に馴染むお茶。
MAMEHICOスタッフの日常茶として飲んでいるうちに、MAMEHICOのメニューに取り入れよう!という話になりました。
そこで、この美味しいお茶はどんなところで作られているんだろう?と調べると、宮崎県の北西部、熊本との県境あたりにある釜炒り茶の産地の五ヶ瀬町で作られていることがわかり、福岡に行った時に、少し足を延ばして行ってみることにしました
のどかな山道を車で登っていった先にそのお茶屋さんはありました。
標高600~800メートルほどの高地で有機栽培でお茶の木を育て、自社工場にて製茶、パッケージして出荷するところまで一貫して手がけています。
低木の茶の木々が、山の傾斜に沿ってあちらにもこちらにも。
茶畑に囲まれた事務所に伺うと「もうすぐみんな帰ってくるのでお待ちくださいね」と言われ、待つことに。
少しすると外で大掃除をして来たという従業員の方々と社長さんが作業着姿で続々と帰ってきました。
「いやぁ、今日で相当きれいになったよ!」と、たった今してきた掃除の成果を事務所に残っていた方たちに報告。
それだけのことなんですが、みなさん、なんだかとっても楽しそう!
そのアットホームな雰囲気から、この場所が好きで働いている人ばかりなんだなぁということがすぐに伝わってきました。
そのまま社長さんを筆頭に、何人かの従業員の方々が集まってくださって、いろんなお話を聞かせていただきました。
今の社長さんは4代目。
代々この地でお茶を作って、100年以上が経ちます。
3代目の、お父さんの時代に農薬を使わない栽培方法に切り替えて、40年ほど経ったころ。
以前はお茶以外の農作物も作っていましたが、今の社長さんの代で、お茶だけに特化するという方針に変えたとのこと。
というのも、近隣で茶畑をやっていた方々が高齢になり、「もう自分達では続けられないから、うちの畑もお願い!」とあちこちから茶畑を譲り受けることが多くなり、気がつけば茶畑の面積が1.8倍くらいに増えてしまったんだそうです…!
茶の木には種類がたくさんあって、こちらでは20~30種ほどを扱っています。
確かに畑をよくよく見れば種類ごとにちょっとずつ葉の出方や大きさ、緑の色あいが違うことに気づきます。
様々な種類を扱うことで、病気や虫などの被害が出た時に、その被害が一気に全てに広がってしまうことを防げます。
そして、緑茶に向く品種、紅茶に向く品種、はたまた烏龍茶に向く品種…と、いろいろあるのだそうで。
特徴を生かしたお茶を作れるよう、様々な製茶の方法を試したり、葉だけでなく、茎や枝の部分までもお茶にしてみる、など、新商品の開発もずっと続けているんだそうです。
茶はツバキ科の植物なので、ツヤツヤと光沢のある葉が特徴です。
ツバキに似た花が秋に咲いて、花が咲いた場所に、その年ではなく「翌年」の秋に実が付きます。
一つの実の中に丸い種が三つ入っており、殻が割れると中からその種が地面に落ち、次の芽が出る…その「三つの種が入っていること」が茶畑の地図記号の図柄(黒い丸が三つ)の由来なのだと、茶畑の脇に落ちた茶の種を見せてもらいながら教わりました。
5月の今はもうまさに茶摘み真っ盛りです。
8月まで続く茶摘みシーズンは休む間のない大忙しの日々が続きます。
新芽を人の手で1つずつ摘み取る「手摘み」と、一気に大量にバリカンで刈るように摘み取る「機械摘み」の両方をやっており、さらに摘み取った茶葉は新鮮なうちに加工するために工場もフル稼働になるので、この繁忙期は普段の2倍くらいの従業員数で対応しています。
繁忙期の働き手は、通年のスタッフに加えて、毎年全国から有志が集い、その期間はこの町で暮らしながら仕事をするんだそう。
今年初めての人も、毎年欠かさず来るという人もいて、仕事の後には、せっかく集まっているからと、みんなで食卓を囲む時間も。
お酒好きが多い年は夜な夜な集まっては飲み会が開催され、お茶好きが多い年だと、夜にお茶会が頻繁に開催されるんだそうで。
毎年カラーが全然違うので、「今年はどんなメンバーが集まるのかねぇ」と通年のスタッフの方々も毎年楽しみにしている様子でした。
和気藹々とした雰囲気や、みんなで一緒に食卓を囲む時間が日常の中にあることなど、「MAMEHICOで大切にしていることがここの日常にもある」と感じました。
「身体に負担のないお茶を作るように心がけている」とのことでしたが、この場所で働く人たちの穏やかで誠実なところが、あのお茶の味に通じているんだということをひしひしと感じる時間でした。