MAMEHICOの糸島開店に向けて準備を進めている中で、
とても魅力的な3人とボクは出会いました。
みなさんそれぞれが、
糸島の「自然」や「地域」と向き合いながら、
個性的なスタイルで仕事をしています。

例えば、学生寮を運営する大堂良太さん。
大学を卒業後、東京での仕事を経て、
学生寮やカフェ、
本屋さんを糸島で手掛けています。
学生や地域の方々が集まり、過ごせる空間を町に作り、
彼が生み出した寮やカフェ、本屋は、
そこで暮らす人々にとって、温かく、
ほっとできる「居場所」になっている。

また、糸島の山を守りながら、
地元の木材で家を作る加賀田憲治さん。
ずっと糸島で大工をしてきたベテランで、
笑顔が人懐っこい棟梁です。
加賀田さんの仕事は、糸島の自然資源を活かしながら、
未来の糸島を守り育てる活動でもあり、
その1つずつに、地元への深い愛情が込められています。

そして、農家として活動する若松潤哉さん。
かつては東京で航空整備士として働いていた若松さんは、
家族と糸島に移住し、甘夏やオリーブを育てながら、
依存しない農業を目指し、実践しています。

こうした3人と雑談することは、
糸島という土地の奥深さを感じる経験でした。
MAMEHICO糸島が、
彼らのような素敵な人々との出会いとともに、
新しい場として育っていったらと思っています。

MAMEHICO 井川啓央

2024.10.14 @糸島・みんなの
「民家工房 日新ホーム」棟梁:加賀田憲治さん
「九州熱風法人よかごつ」代表:大堂良太さん
「わかまつ農園」代表:若松潤哉さん

Vol.1

井川

えー、では、時間になったので始めます。

今日は雑談会なので、ゆったりと進めていきます。
まず、初めての方もいらっしゃるので、
ボクやMAMEHICOが何をしているのか、
簡単にご説明を。

ボクは東京、渋谷周辺で
20年近くカフェをやってきました。
カフェを始めた理由は少し特殊です。
もともとボクはフリーのテレビディレクターでして、
その後、テレビの制作会社を立ち上げたのですが、
その時、雇っていた女の子が
「カフェをやりたい」と言って、
それでなぜか間違って(笑)、
カフェを始めることになりました。

なので、カフェもメディアの1つになれるんじゃないかと、
世間の流れとは一味違った店づくりをしてきました。

現在、東京は銀座、三軒茶屋、神戸、群馬の桐生で、
MAMEHICOをやっています。
そして、ここ糸島でもMAMEHICOを作っていまして、
「地域のコミュニティを大切にするカフェ」を頼まれて、
今準備しているところです。

「コミュニティを大切にするカフェ」といっても、
そこにレシピなんて存在しないから難しいです。

今日は、糸島に拠点を置かれていて、
コミュニティづくりを実際にやってる御三方に
お越しいただいたので
その秘訣を教わりたいと思います。

よろしくお願いします。

一同
(拍手)

井川

大堂さんはアイディアマンで、前原の商店街とか、
色々と手掛けてると加賀田さんに伺いました。

大堂

ええ、まあ、はい。

井川

町の活性とか、コミュニティづくりっていうのを
目指してる?

大堂

町自体が疑似家族じゃないですけど、
町内で挨拶ができる、そういう風だったらいいなって、
ただ純粋な思いでやってます。

井川

そう、加賀田さんから「大堂くんはすごいよ」って
ずっと言われてましたからね。
だから会って話をしてみたかったんです。

大堂

ハハハ。ありがたい。

井川

まぁ会ってみたところ、
あんまり「すごい」感じはしないですけど(笑)

加賀田

そこがまたね。行動力を秘めとるよな。
彼の行動力には、私はもう敬服するね。
若いのに駄菓子屋を作ったり、本屋もね。

大堂

はい。棚オーナー制の本屋さんを作ったんですけど。
するとその本屋さんめがけて、もう定年退職したような、
おじちゃん、おばちゃんが来て、棚のオーナーになって。
もう70歳ぐらいですけど。
糸島高校の第14回生っていう方たちが、
毎月14日をお店番の日に決めてて。
今日まさに14日ですけど、
今日も本屋さんは同窓会みたいになってて。

井川

しっかりとコミュニティができてる?

大堂

そうなんです。
最初は若い子の支援のつもりで本屋を始めたんですけど、
いつの間にか年齢関係なくコミュニティになってる。
それが嬉しいし、
そういうコミュニティの可能性のある場所が、
糸島にもっとあったらいいなって思います。

「九州熱風法人よかごつ」代表:大堂良太さん

井川

今日のテーマですけど、
コミュニティが大事だなと思うようになったキッカケは
なんだったんですか?

大堂

私は九州大学の寮を作るのが最初だったんですよ。

井川

糸島に学生寮?

大堂

はい。ただヒトによっては、
寮って距離感が近すぎるってことがあるじゃないですか。

井川

たしかに。

大堂

名前も「熱風寮」っていう、
いかにも怪しい名前なんで(笑)

井川

ハハハ。

大堂

宗教絡んでますか?って、たまに聞かれるんです(笑)
それはないんですけどね。
やっぱり九大生の中でも、
コミュニティに価値を感じてる学生さんが、
面白そうだなって入ってきますけど
全体からしたら1割もいないですね。

井川

学生マンションで個室があって、
小さいながらも各々にお風呂とトイレがあるっていうのが
大半なんですね。

大堂

はい、寮はちょっと窮屈かもしれないけど、
やっぱりヒトとは話したいみたいな方もいる。
そういうヒトが、
ふらっと来れるような場所があったらいいなと、
桑原にカフェも作りました。

加賀田

素晴らしいよね。

井川

素晴らしいですね。
ただはじめに断っておくと、ボクは東京育ちだし、
しがらみみたいなものが、めんどくさって思う。
隣で友達が寝てるとかイヤで、
「熱風寮」には入らないタイプです。

大堂

はい(笑)

井川

コミュニティが苦手なボクが、
カフェを続けているなかで、
居場所がないと感じているヒトたちに、
コミュニティを作ってる。
人生はわからないものですが、
大堂さんって東京の商社で働いてたんですよね。

大堂

ええ、10年ぐらい、はい。

井川

それなのに古い家を改築して寮を作るなんて、
ビジネスとして割に合わないって、
わかりそうなものですよね。

大堂

まぁ、そうですね(笑)

井川

何やってんですか(笑)

大堂

いや、私も初めは、そこら辺にある4LDKぐらいの、
築20年、30年ぐらいの戸建てがあったら、
そこを借りるつもりだったんです。
ところが東京から日帰りで物件探しに来た時に、
櫻井にある古民家に出会ったんですよ。

井川

出会った?

大堂

ちょうど九大も近いし、寮としてやれるんじゃないか
みたいに思って。
もうなんかインスピレーションで、
ここしかないと思っちゃって。

井川

古い建物を寮にして再生しようとか、
そういう思惑じゃなくて、たまたま?

大堂

そう。物件探してるとき、
糸島にも空き家が1300軒あって、
それこそ加賀田さんたちが守りたいような古民家が、
どんどん更地になって潰されてるって聞いて、
これはなんか一緒に解決したいなとも思いましたけど。

井川

でも最初はたまたま?

大堂

はい、たまたまです。
櫻井に建てた1棟目は市街化調整区域で、
基本的には、カフェとかレストランとか、
学生寮もやっちゃいけないエリアだったんです。
それをやるためには、県知事の許可が必要で、
それに半年ぐらいかかった。
それだけじゃなく、
色々こう、地域のためにちゃんと作りますよとか、
そういった理由付けもいるし、
地域コミュニティの承認を得たりとかね。
そこがまた、大変なんです

井川

大変そう。

加賀田

私はね、あの建物を見た時に、惚れたのよね。
残さないかんと思った。
黒田藩の大名が櫻井神社に参拝した時、
必ず泊まったり、休憩したりしてたっていう
庄屋さんの家だからね。

井川

まぁ、由緒正しい。

「民家工房 日新ホーム」棟梁:加賀田憲治さん

加賀田

材質もいい、技術も建具もいい。
やっぱり細かいところに、昔の技が入ってるから。
大家さんとも話して、この建物を壊したらいかん。
昔のものは極力、残す。
実際、壊そうという話もあったんだよ。
でも、それはいかんと。
壊さんで、うまく改修するなら協力しますよという話で、
私も乗ったわけ。

大堂

そうでしたね。

加賀田

部屋も10室以上あるようなところで、
寮にするには部屋の間仕切りはこうしたいとか、
寮にするための工夫が要るでしょ。
私としては壁は漆喰のまま残したい、とかね。

井川

でも実際やってみたら、法律上、
色々厳しいってことが後からあるでしょう?

加賀田

建築許可でいうと、不特定多数のヒトが利用するなら、
天井は潰せとか、そういうこと言ってくるわけ。

大堂

ハードルは、色々出てきますね。

井川

せっかく古民家を残すためにも寮にするって動いても、
褒められるどころか、怒られたりもする。

大堂

物件も見つかったし、そこでやるしかないって
気持ちだったんですけど、
工事始まっても、許認可は下りなくて。
加賀田さんとか大家さんに心配されて。
大丈夫なの?と。

井川

うちも似たような状況なんでわかります。

大堂

許可が下りるまで半年ぐらいかかるって言われたけど、
学生が入って来る時期って決まってるから。
だから県と交渉して急いでもらって。

井川

許可が下りないことには、
工事費の回収の目処も立たないですもんね。

大堂

そうです。
私の場合、なんとか貯めたお金と借りたお金で、
加賀田さんに払うお金は用意してたんですけども。

井川

だけど運転資金はね。

大堂

そうです。

井川

で、どうしたんですか?

大堂

ちょうど国交相が、高齢者が多い農村とか中間山地域で、
いまの規制を緩和しようという法律を出して。
それを使うといんじゃないかってことで。

井川

おっ、渡りに船。

大堂

おそらく、それを使った第1号なんですよね。

井川

その法律ができなかったらどうしてたの?

大堂

あきらめてたかも知れません(笑)

加賀田

あれで平米数も広がったよね。

大堂

当時は100平米ですけど、いまは200平米に。

井川

そういう危ない橋は渡らないほうがいいっていうのが、
いまの世の中だと思うんですけど。

大堂

一般的にはそうです。

井川

でも渡っちゃったら、橋ができた。

大堂

ハハハ(笑)