MAMEHICOの糸島開店に向けて準備を進めている中で、
とても魅力的な3人とボクは出会いました。
みなさんそれぞれが、
糸島の「自然」や「地域」と向き合いながら、
個性的なスタイルで仕事をしています。
例えば、学生寮を運営する大堂良太さん。
大学を卒業後、東京での仕事を経て、
学生寮やカフェ、
本屋さんを糸島で手掛けています。
学生や地域の方々が集まり、過ごせる空間を町に作り、
彼が生み出した寮やカフェ、本屋は、
そこで暮らす人々にとって、温かく、
ほっとできる「居場所」になっている。
また、糸島の山を守りながら、
地元の木材で家を作る加賀田憲治さん。
ずっと糸島で大工をしてきたベテランで、
笑顔が人懐っこい棟梁です。
加賀田さんの仕事は、糸島の自然資源を活かしながら、
未来の糸島を守り育てる活動でもあり、
その1つずつに、地元への深い愛情が込められています。
そして、農家として活動する若松潤哉さん。
かつては東京で航空整備士として働いていた若松さんは、
家族と糸島に移住し、甘夏やオリーブを育てながら、
依存しない農業を目指し、実践しています。
こうした3人と雑談することは、
糸島という土地の奥深さを感じる経験でした。
MAMEHICO糸島が、
彼らのような素敵な人々との出会いとともに、
新しい場として育っていったらと思っています。
MAMEHICO 井川啓央
井川
加賀田さんは、世の中の主流から
外れてきたわけじゃないですか。
加賀田
そうかもしれんね。
井川
1周まわって、いま、ちょっと時代が
加賀田さん寄りになってきてますよね。
大堂
加賀田さんに家作りを頼んだら、
2、3年先になるって聞きました(笑)
加賀田
ハハハ、今の受注でいえばね。
井川
加賀田さんが、
世の中の主流に飲み込まれなかったのって、
なんでなんでしょうか?
会社を回すためには、やっぱり短期で
仕事をしなくちゃいけない、
やりたいけどやれないっていう
ジレンマはあるわけでしょ。
加賀田
仕事の中で糸島の木こりや製材所と友達になるわね。
昭和40年、50年ぐらいまで、
ほとんどが天然乾燥材だったのよ。
それがいまは機械で
90度とか100度の蒸気を吹きつけて、
水分を蒸発させて、
即、市場に出したら売れるみたいな。
そのおかげで製材所もすぐ現金が入ってくる。
井川
乾かすために1年置いといたら、
その間、お金が入ってこないってことですもんね。
加賀田
そやけど製材所やら木こりやらと話しよったら、
このままいったら山がやばくなると。
井川
やばい?
加賀田
汚い山、手入れしてない山だと、
田んぼに赤土が流れて海も汚れて、
牡蠣も鯛もおらんようになると。
あ、これは山を守らんとなって思って。
おいしい仕事があれば行きたいところもあるけど、
自分の思いとしては、
山を守って、自分の大工の腕を守って。
井川
それはそうだと思います。
みんな伝統は守りたいと思ってる。
だけど、それができる、できないはなんの違いですか?
加賀田
信念やろうと思う。
30年、40年前に、いまの、
いわゆる何々ハウスみたいな会社が建ててるような、
安い家を建ててたこともあったのよ。
ボードにビス打って、クロス貼って、
はい終わり、みたいな。
ところが何年か経って、その家を訪ねる度、
なんだかみすぼらしくなってる。
あぁ、これはいかんなと。
井川
そうなるんですね。
加賀田
やっぱり壁塗ったり、
漆喰塗ったりすれば家は長持ちするし、
体にもいいしと。
まぁ自分なりの道を持つようになってきて、
この道をあんまり違えん方がいいなってなって。
そうやって信念を貫いていたら、
九州の仲間がだんだん増えてきた。
そんな感じやね。
井川
鞍替えしていったヒトもいるでしょ?
加賀田
あぁ、やめてくのは、おるおる。
(若松さんがここから登場)
井川
では若松さん、簡単な自己紹介を。
若松
えっと、10年前ぐらいまで、
飛行機の整備を12年、13年やってて。
そこで色々きっかけがあって、約10年前に糸島に来て。
それぞれに役割があってコミュニティがあって。
その役割で自立できる地域があったらいいなと思って。
そういう思いで有機農業から始めて、
加工業やりながら飲食とか。
今度はゲストハウスとか、
そういう一連の流れを作りながら地域商社を作って。
地域のブランドを作って、
そこで経済を回していくっていうようなことをしてます。
井川
うん。いまコミュニティってどう考えてます?
若松
ハーバード大学で、
人間の幸せとは何たるかっていう研究があって。
それによれば、結局ヒトはヒトとの関わりの中で
幸せを感じると。
井川
モノじゃないと?
若松
やっぱり、本当の幸せっていうのは、コレうまいねとか、
何コレまずいねでもいい。
井川
ほんと、まずい、でもいいもんね(笑)
若松
さっき、あの店員の指が丼に入ってたよねとか(笑)
井川
どんぶりにちょっと親指入ってたなぁ、か(笑)
若松
そうです(笑)
結局そういう話をするのが、やっぱり幸せなんだと。
井川
うん。
若松
お金自体が悪いわけじゃなくて、
でもそればっかりを突き詰めちゃうと、
全部AIやら機械でいいよ、人間はいらないよってなると、
人間は不幸せになる。
井川
若松くんは、飛行機を整備していたんでしょう?
若松
そうです、職場は羽田空港でした。
井川
飛行機の技術って最先端な気がするけど、
人間味ってあるんですか?
若松
どれも一緒です。
飛行機って、ジェット燃料を使って、
アルミの大きな箱をどうやって飛ばすかっていうことで。
それに人間が情熱を向けられるかどうか。
井川
情熱?
若松
情熱ですね。
ヒトが関わるので、色んな問題が当然あって。
人間は集中力が持たないので、
じゃあどういうエラーが発生するのか。
空を飛ぶので、責任感というか、
100%事故が起きちゃダメなんで。
井川
うん。
若松
どんだけ注意しても、ゴールがないっていうか。
井川
そうね、それってすごいプレッシャーだよね。
若松
そういうプレッシャーがあって。
貿易センタービルに飛行機が突っ込むとか、
そういうのを見ると、
自分は兵器を作ってたのかも知れないっていう。
井川
なんとなくやるせない気持ちになるかもね。
若松
はい。
飛行機の整備も、監査の立ち会いとか、
色んな資格取ったりって、それに没頭するのは、
もちろん楽しかったんですけど。
本来やるべきものは、何かほかにあるんじゃないかって。
プレッシャーで疲れた心の修理も
しないといけないというか。
井川
ああ、わかる気がする。
若松
自分の幸せとは何たるかっていう。
そういうことを、考えちゃったんですよね。
井川
なるほど。
若松
サラリーマンの時は、そういう自分の声を、
ある意味、押し殺す場面も多いですから。
自分の声を開いちゃうと仕事できなくなっちゃうので。
なるべく、押し込めて、押し込めて。
井川
で、糸島に来てからは自分の声を聞いているという?
若松
そうです。