自分らしくいられること

みなさま、こんにちは。MAMEHICO東京メンバーの谷川一樹と申します。

ネットで「サード・プレイスとは?」と検索すると、「自宅でも職場でもない、第3の居心地のいい場所のこと。」といった内容が出てきます。
僕はMAMEHICOはそういう場(物理的な場所以外の人とのつながりのような面も含め)だと感じるのですが、なぜそう思うのかを考えてみました。
僕にとって居心地のいい場として欠かすことができないのは、「自分らしくいられる」ことです。

例えば仕事の話。
昔、僕は仕事はお金を稼ぐために仕方なくやることだと思っていたのですが、海外で仕事した経験をきっかけに「仕事って楽しい!」と思うようになりました。
そのおかげで「本当の自分とはどういう人間なのか?」「どういうことに突き動かされるのか」「何を大切にしたい人間なのか」という「自分らしさ」にも気づき始めました。
そう思うようになってからも正直仕事に色々と波はありますが(笑)、「自分らしく生きている」と感じられるときほど幸せで居心地がいいです。

逆に「仕方なくやる」だけだった頃のことを思い出すと、「今思えば、全くあの頃は自分らしくなかったなあ」と感じます。
本当の自分をどこかに押し込めて振る舞い、人と付き合っていました。あまり幸せじゃなかったです。
そういった経験から、「人が自分らしくいられると、それがその人の幸せにつながる」と思うようになりました。

エトワール★ヨシノさんの唄に「アナタノトナリノ」という唄があります。

その中の僕が大好きな一節。
「あなたがいるそのとなりには
あなたを見てる誰かが
あなたがいるそのとなりには
あなたがいるそれに気づいた」

これを最初に聴いたとき僕は涙が出そうになりました。
でもなぜ涙が出そうになったのか、しばらくは言葉で表現できずにいました。

その後、あることがきっかけで「自分をいかして生きる」という本を手に取りました。
「自分にとってはたらくとは何か」を深く考えさせられる本です。その中にハッとする絵が出てきました。

”他者” ⇔ ”自分” ⇔ ”自分自身”
「他者」という人間の絵。「自分」という人間の絵。そしてその横に「自分」とは別に「自分自身」という人間の絵があるのです。

本にはこう書かれていました。
「人づきあいと同じく、自分づきあいとでもいうべき、ふたりの自分の間の人間関係があるんじゃないか」
「人が一番傷つくのは、他人にどうこうされることより、本人が本人を裏切ることによるのではないかと思う。他人はそもそもコントロールできるものではないし、望ましくないことをされても、あの人はそうだったんだなと思えば割り切れる。しかし、自分という身近な他者はその限りではない」

これを見てようやくわかりました。
自分が自分らしくいられないと、それは自分自身を傷つけることになる。
自分らしさを大切にしたい。
「アナタノトナリノ」の詞が深いところで僕の心に触れ、そのことを気づかせてくれたのです。

MAMEHICOでつながったメンバーのみなさん、スタッフのみなさんの前では、僕は自分らしくいられます。
「自分」という人間には色々な装飾がまとわりついているものですが、余計なものをぜーんぶ取り払って芯に残った「純粋な自分」の状態でいられると感じます。
一緒においしいものを食べてお話をしたり、一緒に何かを学んだり、一緒に手間暇をかけて何かをつくったり、素直に感じていることを伝えたり聴いたり。
そういうことから生まれる関係性、場が自分を自分らしくいさせてくれるのだと思います。

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