おばさんおじさん

いまジェンダー論が賑やかだけれど、
ボクは自分のことを「おばさんおじさん」だと思っている。

ボクはいま50歳だから、正真正銘の「おじさん」である。
若作りしようとも思わないし、たまに自分の写真を見て、
白髪だらけで小太りの自分が写っていて、
ほんとにお気の毒なほどの「おじさん」で笑ってしまう。

で、「おじさん」部分はそれとして、
「おばさんおじさん」の「おばさん」部分はなんなのか。
小学生の頃を思い返してみる。
あの頃のボクは、同級生よりも、
同級生のお母さんのほうとウマが合ったのだ。

たとえば。
よそのお宅に遊びに行く。
おやつよ、と出されたおうどん。
ボクはそれを一口食べるやいなや、
「いやあ、◯◯◯君のママ、このおうどん、絶品ですねぇ。
なんですかこれ。このうどんとも、ひやむぎとも言えない喉越し。
こちらはどちらのものなんですか?」
なんて尋ねる。

するとそのママ、
「あら井川くん、この喉越しが小学生のあなたにわかるのっ!?
実はこれね、私の郷里のうどん、氷見うどんなのよぅ」
なんてことになったりする。

そのあとママは、氷見とはどんな街か、昔はこうで今はこう。
冬に美味しいお魚はなんだ、兄貴がいて、
それが実家の自転車屋を守ってるのだけれど、
いまいち、うだつが上がらないのだ。と話は尽きない。
最後のほうは友達はそっちのけで、挙げ句、夕飯までごちそうになり、
「井川くん、今日はほんとに楽しかったわ、また来てね」となったりする。

翌日教室に行けば、
「お前、よくうちの母ちゃんとあんなに、
どうでもいいはなしを続けられるなぁ、感心するぜ」
と同級生は呆れている。

そんな子供時代だったから、近所のおばちゃん、
おばあちゃんがボクの話し相手だった。
ボクの両親はそんなボクを、やっぱり呆れてみていた。

帰りが遅いことが続いて、おばさんと話しすることを禁止されたこともある。
特に無口だったボクの父親は、
ボクをまったく理解不能という感じで見ていた。
つまりボクは自分を小さい頃から「おばさん」だと思っていたのだ。

さて、三つ子の魂なんとやらで、
ボクの中にいる「おばさん」は今もますます健在だ。
いま正真正銘の「おじさん」になったボクは、
「おばさん」と合体して、「おばさんおじさん」となっている。

この「おばさん」が、ボクをカフェの仕事に導いたのは間違いない。
ボクは店のテーブルを拭くとき、ボウルにぬるま湯をため、
中性洗剤を少し入れてかき混ぜ、固く絞って拭く。
水でも問題ないけれど、ぬるま湯の方が汚れ落ちは良い。

それを店員に言ってきかせ、やってみせ、
できなかったら文句を言い、できたら褒める。
何でもかんでもアルコールのスプレーで拭いたつもりになってる
店があるけれど、あれではまったく脂汚れは落ちないんだよ、まったく。

豆の炊き方も、そうやって女の子たちに教えてきたし、
マフィンづくり、粉とバターの合わせ方、
ドライカレーのルーの炒め方、青菜の茹で方もそうやって教えてきた。
教え子の一部は嬉々としてボクを真似、
それがいまのMAMEHICOを作っている。

ただここ数年、コロナでお店は滅茶苦茶になった。
デタラメ、理不尽な世間にボクたちはうんざりした。
時に大きな決断を迫られ、煮え湯を飲まなければいけないことも続いた。
そのたび、女の子たちはみんな黙りこくり、
ただ過ぎ去るのをじっと耐え忍んでいた。

そういう非常事態のとき。
ボクは「おじさん」で乗り切ってゆく。
正しければ通る、社会とはそういう甘いものじゃないと、
「おじさん」のボクは知っている。
出し抜いて稼いだやつが幅を利かせる、
悪い奴ほどよく眠ると言うが、それが社会だ。

だけど。
そんな理不尽に神経をすり減らすよりも、
もっと大切なものがあると「おばさん」のボクは知っている。

毎日の暮らし、なにげないお漬物、
道端の草花、掃除の中にしか幸福はない。
ボクの友人だった「おばさん」たちから、
それを教わってきたのだ。

「おじさん」であり、「おばさん」であるボク。
ボクの一部しか見ない、他人にはわかりにくいでしょう。
だけど、不透明な時代には、両刀使いはとかく便利なのである。

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