アジアの街は、今じゃどこも経済発展して近代的な街に様変わりしてるけれど、植民地時代や大東亜戦争、ベトナム戦争、朝鮮戦争、激しい闘争の歴史がきれいな町並みの背後に見え隠れしていて。
もちろんシンガポールも例外じゃないんです。
大航海時代からイギリスの植民地で、東西を結ぶ貿易の拠点となって、そこに中国からやってきた華僑やらが絡み合って、いまの独特な文化を作り出した。
そんなシンガポールを代表する最高級ホテルのひとつにラッフルズホテルがある。
ボクはこのホテルが好きで何度も泊まりに行ってます。
明治20年に開業したこのホテルは、コロニアル様式の建築で知られているんです。
西洋人って蒸し暑いのが苦手でしょ、あの人達って、涼しくて乾いたところのヒトたちだから。
それで東南アジアに植民地を作るにあたっては、自分たちが蒸し暑い中でも快適に過ごせるよう、高い天井、天井から吊り下がったファン、風通しのいい空間、白い柱、大理石の床など、涼しくなる工夫がたっぷり詰め込まれている、そういうのをコロニアル様式というのね。
アジアに作られた西洋人のための建物であるラッフルズホテルだけど、1942年の大東亜戦争中は、日本軍が「昭南旅館」という名前に変えて使ってた歴史もある。
陸軍将校たちの南方軍総司令官の官邸だったっていうんだから、すごい歴史だよね。
いまラッフルズホテルに訪れれば、そんな激動の歴史なんてこれっぽっちも見せず、ただただ落ち着いた佇まいのホテルとなっている。
中庭のパームコートには、たくさんの椰子の木が生い茂り、ボクはこの中庭に面した部屋を選んで泊まって、朝起きて寝ぼけまなこのまま、レースのカーテンをくぐり、テラスに出て中庭を眺めるのが好きなんです。
アジアらしいクラクション、通勤バイクのエンジンの音、そこに南国の鳥のさえずりが交じり合って、時空が歪んだような気分になる。
庭に面したティールームもあって、そこではハイティーが楽しめる。
大きなティーポットとお皿を段に重ねるスタイルで、まさにイギリスのアフタヌーンティーそのままだけど、出てくる料理が違う。
バターを使ったケーキだけじゃなくて、餃子やシューマイのような点心も同じ皿に並び、お茶もセイロンティーだけじゃなく、凍頂烏龍茶やプーアールまで選べる。
植民地や戦争の体験で、どれほど人間の残酷さを思い知り死んでいったヒトは、いくらでもいただろう。
だけど、人間というものはこれまたどこまでも強かで愛しくて、儲かれば何でもやりまっせという商魂だったり、昨日の敵は今日の友、敵同士、愛し合い混血の子どもが産まれたりする。
伝統文化は守らなくちゃいけないのだと戦うヒトがいる。
細かいことは言うなと、柔軟さをもって取り入れていくヒトがいる。
時が経てば、否が応でも異国の文化は混じり合い、混沌を経て、洗練された美に生まれ変わっていく。
人間とはなんというものだと、ハイティーに感じてしまう。
そうだ、ラッフルズホテルに何回か行くうちに気づいたことがあったの。
白いロビーには天井まで数本の大きな柱が立っているんだけれど、柱に掘られた文様の床からの高さが、てんでバラバラであることにあるとき気づいた。
「そうか、ボクがここを気に入って、心地よく感じているのは、こういう細かい部分がそろっていなくて、適当だからなんだ」
そう気づいて嬉しくなった。適当を認める寛大さこそが、豊かさなんだ。
帰国して早速「クルミドコーヒー」を作ることになって、ラッフルズを取り入れたいなと考えた。
建物の高さや仕上がりは、ズレてていい。
そのズレがヒトの手で作った暖かさと伝わり、ここを訪れる子どもたちに「君は君のままでいい」という肯定のメッセージになるはずだ。
クルミドコーヒー、そのあとすぐ作ったMAMEHICOパート3は、そんな想いで作ったのでした。
日本の職人に、「ちゃんと揃わないで作ってほしい」って何度も頼んだ。
日本の職人は「はい、わかりました。ところで何センチずらしましょう?」とすぐ聞き返してくる。
「いやいや、そうじゃなくて!感じたままでいいの」とこちらも訂正するけど、「いやいや、指示してくれなくちゃ、成り行きでなんか作れない」と押し問答になったことさえある。
この国では不完全を肯定したものを作れないのか、若かったボクは悲しくなったりもした。
先日、メンバーの方がシンガポールに行ってきたと、ボクにラッフルズホテルのアールグレイをお土産に買ってきてくれました。
それは相変わらずの美味しさだったんだけど、お茶の缶を見るとね。
貼られてるシールは、ばっちりセンターがズレてる。
最高級ホテルの紅茶の缶のシールが、ばっちりズレてるんですよッ。
ギクッとしたね。
「井川さん、あなたね、ズレてるものを愛せてますか?」、不意打ちにラッフルズ先生からお便りが届いた。
「愛こそがすべて、なんて調子の良いことをペラペラと言うやつに限って、他人の失敗に対して冷たく笑っている。それにさえ気づかない、それが日本のお家芸ですよ」、ラッフルズ先生はボクにこう語りかけてくる。
ボクは歪なものを残したい、っていう想いがあってそれは、ラッフルズ先生に教わった美学なのでした。
「それを忘れていたな。きちんとしなくてはしなくてはと、思ってしまっていたな」。
飲みながら、先生の手紙に反省した真夜中の紅茶。