AIは道具
ここ数日、こもりっきりになって取り組んでいたのが、AIを使ったホームページの再構築です。
MAMEHICOのホームページはWordPressで作っていて、スタッフみんなで運用する部分はエレメンターというプラグインで、しこしこと去年1年かけて構築してきた。
ところが、これがなかなかどうして、細部が作り込めないんですよ。
ボクはね、すごく細部が気になる性格なんです。
全体からではなく細部から入って、そこから全体を考えるというタイプなので。
細部が作り込めないというのはすごいストレスです。
ところがWordPressとプラグインの組み合わせというのは、CSSやJavaScriptがどうしてもぶつかり合ってしまって、うーってなる。
いくら時間を割いても、徹夜して注意深くやっても、そこから先は無理というところに去年は何百回もぶち当たって、その度に茶台をひっくり返したくなっていたわけです。
去年だけで10歳は老けたと思います。
そこへきて。AIがどんどん発達してきましたね。
そしてボク自身もAIを使いこなせるようになってきた。
AIというのは、ものすごく頭の良い記憶喪失者です。
切れ味は抜群なんだけど、さっき昼飯に何を食べたか覚えていない。
そして金食い虫でもあります(対策はいろいろあるけど)。
一筋縄ではいかないことはよく知っています。
けれどそのとんでもない切れ味をうまく使えば、ホームページの再構築だけじゃなく、MAMEHICOでしか使わない業務アプリや、個人的にあったらいいなというアプリまで、あれこれ作れるんじゃないかと。
お母さんが生まれた娘の服を全部手作りするみたいな感じで、いま一人で色々と作り始めているわけです。
で。
AIを使いながらずっと考えていたのが、「カオス」と「分かりにくい」はちょっと違うんじゃないか、ということなんです。
カオスは、複雑だけど内側に秩序がある状態のことです。
分かりにくいというのは、複雑なうえに内側の秩序が見えない状態のことで、それは全然別の話なんですよ。
MAMEHICOって、よく分かりにくいと言われる。
ボクの才能とやりたいにぶら下がって、いろんなことをやってるからね。
でも、ボクが目指したいのはカオスであって、分かりにくいじゃない。
分かりやすくしたいなんて微塵も思わないけれど、ただバラバラなのは嫌なんです。
よくMAMEHICOも、シンボリックな何かひとつに絞れば、もっとよくなるよという忠告を受けます。
でもニューヨークに自由の女神があるからニューヨークに行くヒトなんて、どれだけいるんですか。
あの街の魅力は、わけのわからないものが全部ひしめいているところじゃないですか。
MAMEHICOだって、絞ったら負けな気がしてしまうんですよ。
ボクが好きだったのは、渋谷にある「羽當(はとう)」という喫茶店でしてね。高校生の頃から通っていた。
薄暗い店内になんだかよく分からないものがガチャガチャ置いてあって、ジブリの絵みたいな、そういう店なんですよ。
カオスなんだけど、その中にちゃんと秩序がある。
後にブルーボトルコーヒーの創業者が「羽當にインスピレーションを受けた」と言っていたという話も聞きましたが、ボクはブルーボトルとあの羽當は対極にあると思っていて。
カオスであることと分かりにくいことは、似ているようで全然違うんです。
土の中を考えるとよく分かる。
ミミズがいて、根っこが張り巡らされて、微生物がうごめいていて、ものすごくカオスなわけです。
でも、ミミズが根に絡まって窒息したという話は聞かない。
土の中には土の中の、厳然としたルールがある。そのルールの上にカオスが成り立っている。
リンと窒素とカリウムだけ入れれば植物が育つという話ではないように、一定の均衡があってはじめて、豊かなカオスは保たれるわけです。
ニューヨークだってそうで、「人種のるつぼ」とよく言われるけれど、あれはメルティングポット(溶け込む)というより、それぞれがそれぞれのまま、一定のルールの上でバランスをとっているものだとボクは思う。
MAMEHICOが「分かりにくい」と言われるとしたら、それはいろんなことをやっているからではなく、そのいろんなことを貫いているルールや愛のようなものが、まだ整備しきれていないからなんだろうと思うんですよ。
だから、絞るのではなく、整える。カオスをカオスのまま保つための秩序を作る。
それをやるのにAIはとても向いているんじゃないかと、今しこしこやりながら感じているわけです。
AIは道具です。道具として正しく使えば、混沌を整理するのではなく、混沌を混沌のまま美しく保つことができる。
そこにボクは可能性を感じているんですよね。皆さんはどうでしょう。