文化を守るにはお金がいる
昨日ね、市場に行ったんですよ。
銀座の店で、朝から仕入れたものをそのままお出しできたら面白いよねという話になりまして。
日野ちゃんが張り切って、朝5時から築地に行くかという話もあったんですが、なにしろボクらは横浜にいるもので、そこは近所の市場に落ち着いたわけです。
で、毛ガニを買って、キンメダイも買って。
久しぶりにいろいろ買い込んできたんですが、そこでちょっと考えさせられることがありましてね。
スーパーマーケットって、もう魚をまともに売ってるとこがほとんどないんですよ。
少なくともボクの周りには。
お刺身の盛り合わせならあるけれど、キンメですとか毛ガニですとかいうものはまずない。
デパートの地下に行けばあるけれど、あれはもう肉と比べたらびっくりするくらい高い。
そうなると、みんな当然安い方に流れていくわけです。
魚より肉の方が安い。お米より小麦の方が安い。
となれば、家計を考えたら当然そっちを選ぶという話になる。それ自体は責められないんですよ。
でもね、そうやって価格だけで選んでいくと、じゃあ誰が出汁の引き方を守るのか、誰が漁師の仕事を支えるのか、誰が日本の食文化というものを次の世代に渡すのかということについては、誰も考えていないんじゃないかと思うわけです。
醤油でもそう、お酒でもそう。
ありとあらゆるものが価格の話だけになってしまったら、企業努力して安くしない方が悪いんだという理屈になっていく。
和食の伝統とか、出汁を引くという習慣とか、そういうものはコスパが悪いから淘汰されていく。
文化を守るにはお金がいる、というのはそういうことなんですよね。
かつてはパトロンというものがいて、お金を持っているヒトが芸術や文化を支えるという側面があった。
今の時代、お金のあるヒトたちはどこに投資しているかといえば、株か不動産か、という話になってしまっていて、日本の食文化だの工芸だのというところにはなかなかお金が回っていかない。
買い物は1つの選挙だ、という言葉がありましてね。
神戸のヤマダストアーにも書いてあるんですが、ボクはこれは本当にそうだと思っているんですよ。
家具1つ取っても、どこで何を買うかというのは、どういう世界を作りたいかという意思表示になる。
安さだけで選ぶというのも1票だし、多少高くてもちゃんとした職人の仕事を買うというのも1票なわけです。
織物でも、編み物でも、レースでも。手で作られたものには、機械化とは違う何かがある。
それは思想とかそういう話じゃなくて、人間のリズムとして、そういうものが必要なんだという感覚がボクにはあるんです。
編んでもらったヒトはありがたいし、編んでいるヒト自身にとっても、編むことそのものにありがたさがある。
そういうものが、お金がないというだけの理由で廃れていくのはやっぱりもったいない。
じゃあどうするかといえば、結局はみんなの意識の問題にもなるわけですよ。
こういうものは残した方がいいよね、という感覚がみんなの中にあって、そこに適正にお金が回るような社会を作っていかないといけない。
政治の話でもあるし、一人ひとりの買い物の話でもある。
毛ガニを食べながらそんなことを考えていたわけですが、いやあ、やっぱり味が濃いんですよ。
冷凍のビシャビシャとは全然違う。
こんなに旨いカニがいるんだ、と思いましてね。
この味を知ってしまうと、やっぱり守る価値があると思えてくるんですよ。
文化というのは、食べてみないとわからないものでしてね。
自戒を込めてのお話でした。