懐に入る、ということ
みなさま、こんにちは。MAMEHICO東京メンバーの鳥山大介と申します。
先日、エトワール★ヨシノの一人芝居『脱走兵と群衆』を観てきました。
2時間半、ひとりで舞台を支え続けた井川さんの圧倒的な存在感に、終始目を奪われ続けました。
一人芝居でこれほど客席を飽きさせない——ただただ驚くばかりでした。
セリフの間、動き、呼吸のひとつひとつに意図が宿っているようで、意味があるのかないのかもわからない。
そんな行ったり来たりする感覚は、いったい何なのだろう。
その感覚を、ずっと抱えながら観ていました。
一緒に観ていた皆さんは、どんなふうに感じているのだろう。
ストーリーとは関係ないのに、なぜかとても気になりました。
印象的だったのは、観客との距離感の取り方です。
巻き込みすぎず、でも決して遠ざけない。
いつの間にか舞台と客席のあいだに確かな関係性が生まれていて、その空気を自然に作り出せる凄みを肌で感じました。
押しつけがましくないのに、気づけば引き込まれている。
こちらが能動的に前のめりになっている。
相手の懐にするりと入り込みながら、でも踏み込みすぎない——あの感覚は一体どこから来るのだろうと、観ながらずっと考えていました。
思えば、私が育った環境も、距離感に敏感な場所でした。
家業としてタオルの卸問屋を営む家に生まれ、1階が店舗で2階が住居。隣近所も似たような構造の商店が並ぶ街。
職場の人と一緒にご飯を食べるのは当たり前で、近所のおじさんおばさん、はたまた親戚のような、近すぎず遠すぎない温かい関係性がそこにはありました。
町内会のお祭りがあり、顔の知っている人が街中にいて、すれ違えば自然と挨拶が生まれる——そういう空気の中で育ちました。
最近は、その距離感がずいぶん遠くなったなと感じます。
顔の見えない関係が増え、隣に誰が住んでいるのかもわからない。
それでも私は、街の中に「今日も挨拶できる人」を少しずつ増やしていきたいと思っています。
深い関係じゃなくていい。
ただ、顔を知っていて、軽く言葉を交わせる——そんな人が周りにいる暮らしが心地よいのです。
だからこそ、同じようにはなれないとわかっていても、あの距離感を自分の中に宿したいと強く思いました。
ストーリーも、どこかにいそうな人物たちの機微が丁寧に絡み合い、親しみやすくも、ずっしりと胸に響きました。
それぞれの時代の何気ない日常の中に、こんなにもさまざまな感情が眠っているのだと、あらためて思い知らされました。
終演後、台本を買いそびれてしまったことだけが悔やまれます。
あの言葉たちを、もう一度自分のペースで読み返したい。
手元に置いて、何度も開きたくなる作品でした。

「脱走兵と群衆」
出演 / エトワール★ヨシノ
作・演出 / 井川啓央
日時: 5/2日(土)、3(日)
場所: MAMEHICO銀座