三軒茶屋 神戸 桐生やってます。モーニング推しです。
銀座はメンテナンス中です。2月には再開します。

MAMEHICO店主 井川啓央に聞く

今日はMAMEHICOの井川さんにお話を伺います。

井川さんはカフェの代表でありながら、店づくりだけにとどまらず、ラジオや舞台、イベントなど、さまざまな形で作品を作り続けています。

店を続けてきた中で、形は少しずつ変わってきました。カフェとしての仕事に加えて、ラジオや舞台、会のような取り組みも増えています。外から見ると分かりにくい部分もあると思います。

そこで今回は、井川さんにとってMAMEHICOは、どんな背景から生まれたのか。なぜ、いろんなものを作っているのか。そこをインタビューしました。

【井川啓央 いかわよしひろ】1973 年札幌生まれ。仙台、川崎、育ち。テレビディレクターとしてニューヨークに在住。帰国後、テレビ番組の制作会社セレンディピティを設立。2005 年 7 月「カフエ マメヒコ」を三軒茶屋に開店。2007 年「マメヒコ渋谷店」開店。2008 年、影山知明氏の依頼にて、西国分寺に「クルミドコーヒー」を開店。2010 年、とんかつとパン工房と純喫茶の「マメヒコパートⅢ」開店。同年北海道、大樹町にて、マメヒコで使う豆とかぼちゃを作る「ハタケマメヒコ」を設立。2013 年「カフエ マメヒコ公園通り店」「カフエ マメヒコ宇田川町店」開店。2015 年「マメヒコ covivu」開店。2017 年「胡桃堂喫茶店」開店。映画の監督もしており、2012 年「紫陽花とバタークリーム」、 2013 年「さよならとマシュマロを」、2015 年「ゲーテ診療所 とうさんのティラミス」の作品がある。2014 年より、音楽劇「ゲーテ先生の音楽会」では、作、演出、出演。2017 年から現在まで、シャンソニエ、エトワール★ヨシノを演じ、作詞、作曲を精力的に行い、2020年「MOTIFE」、2021年「Nacham」のCDアルバムを発表。2021年からは、連続ドラマ「ノッテビアンカ」を、脚本、撮影や録音、演出、監督、編集まで一貫かつ総合的に手掛け、自身のYouTubeチャンネルにて配信中。2022年9月「MAMEHICO東京・銀座」、「MAMEHICO神戸・御影」開店。

お店を始めるまで

質問者:啓央って、珍しい名前ですね。

井川:珍しいでしょ。これ、占い師につけられたんです。親がね、どういうわけか占い師に言われて「この字がいい」と決めたらしい。

で、困るのが、漢字を読めた人がいないこと。学校でも、役所でも、病院でも、とにかく正しく呼ばれない。呼ばれる前に一瞬、空気が止まるのね。「えーっと、けいおうさま……」って。こっちはもう慣れっこだから、「はいはい、よしひろです」って返す。

意味は「賢くて、みんなの中心にいる」みたいなことらしいです。啓く、って字が入ってるからね。ひらく、ひらかれる。そこに央、真ん中の央。ずいぶん立派なこと言うなと思うけど、名前ってだいたいそういうもんでしょ。願いを文字に詰め込む。

ボクはこの名前、わりと気に入ってます。読めないなら読めないで、入口にひとつ引っかかりができるじゃない。人は引っかかったものを覚えるんです。スッと通り抜ける名前より、「なんて読むんですか」って聞かれる名前のほうが、会話が一回生まれる。その一回が、案外大事だったりするんですよね。

――学生時代はどう過ごされましたか。

井川:大学生の頃は学習塾をやってました。最初は家庭教師です。やってるうちに生徒が増えて、気づけば自分で集めて、教えて、回す、小さな塾みたいになっていた。そうしてるうちに就職活動のタイミングを逃して、そもそも学校にもあまり行ってなかったから、中退しました。

中退してからも、どこかの組織に入る気はなくて、自主制作の映画を撮ったりしながら、そのままフリーでやっていく流れになります。テレビの仕事に入ったのも、最初は美術のアルバイトから。制作会社の現場を覚えつつも、いわゆるAD的な徒弟制度の働き方はどうしても合わなかった。そこでたまたま、映画番組の予告を作る仕事が来て、成り行きで予告編を作ったりして、気づけばフリーのテレビディレクターになっていきました。

だから、いまのボクの根っこって、とにかく現場で作って、回して、仕上げる、その繰り返しなんです。それがたまたまカフェになっただけで、やってることは昔からそんなに変わってない気がします。

――ニューヨークに行ってから、カフェができるまでの流れを聞かせてください。

井川:ニューヨークに行ったのは、夢を追ってというより仕事の延長です。映像の案件があって向こうに住むことになった。そこで強く残ったのは、街が働く人たちで回っていて、店が人をちゃんと休ませている、という感覚でした。神経を使う現場の合間に、小さな店に救われる経験が何度もあったんです。

ただ、映像の仕事って面白い反面、締切や予算や会議みたいな「枠」の中で動く仕事でもある。自分で決めて、自分で責任を取って、自分で回す仕事を持ちたい、という気持ちが強くなって、日本に戻ってテレビの制作会社を作りました。その会社名を「セレンディピティ」にしたんです。

セレンディピティっていうのは、ざっくり言うと「偶然の出会いを、価値に変える力」みたいな意味です。狙って当てるんじゃない。計画通りに獲りに行くんじゃない。転がってきたものを、ちゃんと見つけて拾って、磨いて、自分のものにしていく。

ボク自身、ニューヨークに行ったり、結婚したり、会社を作ったり、そういう出来事が次から次へと起きるんだけど、どれもこれも最初からボクが強く望んでいたわけじゃない。人生が思った道と違う方向に、ぐいぐい運ばれていく感じがあった。そのときに「本当に大事なことはみんな偶然なんだ」と思って、じゃあ偶然を大事にする会社にしよう、と腹をくくった。その覚悟を、会社名にしたわけです。

カフェが生まれたのも、まさにその延長です。最初から「カフェをやろう」と狙って始めたというより、降りかかってきた出来事をこなしていく中で、結果として店になっていった。だから今でも、ボクのやることには、明確な作為はなくて、たまたまを育てる、のほうにありますね。

――最初の店が三軒茶屋になったのは、どういう流れだったんですか。

井川:2005年に一軒目を作りました。いまの三軒茶屋が最初です。ただ、最初から三茶でやろうと思ってたわけじゃない。本当は渋谷で始めたかった。でも物件が予算に合わなくて、代官山や青山も探したけど無理で、最後に出てきたのが三軒茶屋だった。正直、その時点ではほとんど行ったことがなくて、「三茶かあ」という感じでしたね。

結果的には、その“流れ着いた場所”がスタートになった。狙い通りじゃないけど、偶然に押されて始まった、という意味では、ボクらしい始まりだったと思います。

大変だった最初のころ

――お店を始めて、すぐ増やしていったんですよね。

井川:最初の店を始めてからが大変でした。綺麗な話じゃなくて、とにかく潰れないようにする、それだけ。一店舗を丁寧に回して生き残るのは理想だけど、現実は売上のブレに耐えられない。天気や近所の工事ひとつで簡単に売上が止まる。

だから三年目くらいに渋谷の宇田川町に出して、その後もパートⅢや公園通り店、他にも「クルミドコーヒー」とか。最初の頃は、毎年一軒作るような勢いで増やしていきました。とにかくずっとぎりぎりで、止まったら終わるという感覚でした。

――渋谷は波が激しかった?

井川:激しかったです。うちの店も行列ができた時期もあった。でも渋谷は、こっちの努力と結果がつながらない街なんです。ヒカリエや駅の再開発みたいな街の都合で、人の流れが突然変わる。昨日まで来てた人が今日から来なくなる。

特にオリンピック前後の再開発で、街じゅうが工事現場みたいになって売上が落ちて、あの時期はコロナよりきつかった。コロナは融資が出たけど、再開発は誰も助けてくれないまま、じわじわと首が締まる。

あの頃はテレビの仕事も下火になっていて。気づけばMAMEHICO一本になっていました。もう逃げ道がなくなった。結局本気でやるしかないなって感じです。

「ゲーテ〜」から、エトワール★ヨシノ

――そこから、次はどう動いたんですか。

井川:途中映画を撮ることになったりと、不思議な縁があって。あるときからオペラ歌手の増原君と「ゲーテ先生の音楽会」という音楽コント劇をやることになりました。

その流れで「エトワール★ヨシノ」というキャラクターを演じたんです。最初はおふざけの延長みたいな感覚もあったけど、結果としてあれが次の扉を開いた。

というのも、宇田川の店が閉まることになってね。渋谷がなくなるから、どっかで「ゲーテ」をやる場所を作らなきゃいけない。そしたらたまたま銀座のコンサートホールを見つけて。そしてそこで、スピンオフみたいにエトワール★ヨシノのライブをやった。

――それでコロナになったんですね。あの時期、かなりきつかったと思うんですけど。

井川:きつかったです。売上が落ちたとか、店が大変だったとか、それももちろんあるんだけど、それ以上に、社会の空気に苛立ちました。みんなが同じ方向を向かされて、疑問を口にしただけで、悪者になるという空気は許せなかった。

満員電車は毎日走っているのに、ソーシャルディスタンスとか言ってる、そのダブルスタンダード。辻褄が合わないでしょ。発表される内容も、その都度ニュアンスが変わっていくしね。ボクは、最初からかなり懐疑的に見ていました。

そんななかで店としてどうするかは、自分の頭で考えて決めました。過剰な安心演出みたいなことより、きちんとした手洗い、清掃など、基本を丁寧にやる。生活の作法を整えるほうを選んだんです。

ただ、周りと違うことをすると当然、離れる人も出ます。ボクのやり方が許せない人もいたでしょう。あの頃は、お客さんや身内からも石を投げられるような感覚になる出来事もありました。正しいか間違ってるか以前に、社会から外れたものを一斉にたたく。もうMAMEHICOをやめてもいいかなと思いました。

コロナを経て、不動産価格や株価も、実態とはかけ離れてどんどん値上がりしていく。ボクのローカルは東京だから、本当は東京で頑張りたい。でも家賃が上がったり、再開発で人の流れが変わったり、手に負えない局面が増えていく。だから、東京の外にも居場所を作ろうと思ったんです。

それで最初は奈良の古民家を買ってそこに集約させようかなとも考えたけど、縁がなくて流れた。その直後に桐生の古民家が見つかって、そこでやることになりましたた。それが紫香邸です。たまたまから、そういう転がり方でした。

コロナ禍に連続ドラマ?

――コロナ禍で連続ドラマを撮ったんですよね。

井川:そうです。前からずっと、連続ドラマを撮ってみたかったんですわ。それで「ノッテビアンカ」という自主製作の連続ドラマを撮った。そんな人いないでしょ?店をやりながらドラマを撮るなんて、普通に考えたら無茶でしょ。でもボクは無茶を現実にするのが得意なんです。

その流れの中で、いままでやってきたカフェの形も変えようと考えました。メンバーシップ制に舵を切る、ということです。

要するに、匿名の人を相手にするんじゃなくて、実名の人を相手にする。顔が見える関係を、ちゃんと作る。いままでは立地の良いところで、誰でも気軽に入れるほうが正しい、みたいな常識があるでしょ。でも、ボクはそこを疑い始めていました。

匿名の世界は、簡単に壊れるというのも渋谷の10年でよくよくわかった。気分で来てくれてる人は、街の導線が変わればすぐに来なくなる。世の中の空気が変われば、いきなり白紙になる。こっちはその不安定さにずっとつき合わされる。それで高い固定費を背負うのは構造として無理があるな、と思ったんです。

だから、メンバーシップ制のカフェにしよう、と。名前がわかって、顔が見えて、どういう人なのかが分かる関係。店を、通りすがりの消費される場から、関係の場に作り直さないと。生き残る道は、そっちしかないと思いました。

本物を使いたいからメンバーシップ

――メンバーシップはすんなり受け入れられましたか?

もちろんお客さんにもスタッフにも受け入れられなかった。いまもって、メンバーじゃないと入れないんですか、とか。排他的じゃないですか、とかね。でもいまのままでは、結局お客さんを自分から取りに行く努力をしてないからね。立地が良くて来てくださったお客を、捌くだけがカフェの仕事になってしまう。

するとなんかあると、まったくお客さんは来ないわけですよ。だったら少なくてもいいから、見える関係を構築する意識を持ったほうがいい。ボクはそっちに舵を切ろうと。

コロナのときは、メニューもぐっと絞ってね。当時、お弁当クラブというのもやって、お客さんに玄米のお弁当を毎日ちゃんと作って、毎日ちゃんと売る。反復で信頼を作るしかないのだと。連続ドラマも同じ。連続で積み重ねるから、スタッフもキャストも素人だけどうまくなる。とにかく反復が大事だなと。

あとメンバーシップ制にしたい理由は単純で、本物を使いたいからです。本物というのは、値段が高い安いの話ではなくて、素材がちゃんとしている、ということです。ガラスならガラス。木なら木。木目のシートを貼ったものじゃなくて、木そのもの。そういうものをきちんと置く。

ドラマの話で言うと、脚本家の倉本聰さんの言葉に「フィクションなんだから嘘はあっていい。でも小さな嘘はつくな」というのがあるんです。物語という大きな嘘は成立する。でもディテールの雑さとか、その場しのぎの安っぽさみたいな小さな嘘は、一発でばれる。そこが崩れると、全部が嘘に見え始めるんだと。

店も同じです。ディテールに根拠がある。

だから家具はテーブルも椅子も棚も特注で、広葉樹の無垢材で作りました。なんちゃっての素材は使わないと。食器も同じ。軽くて割れないからといってガラスみたいなものは使わない。花も生花を入れる。

食材も、本物を出したい。ディテールこそ本物にする。ボクがやりたいのは、それなんです。内装を無垢材にしてるのも、飾りじゃない。本質を伝えたいからです。表面だけ木っぽい店は多いけど、うちは木そのものを使う。触ったときの温度も、音も、匂いも違う。嘘を減らすと、場の空気が落ち着くんですよ。

それから、徹底した掃除と清潔感。これは絶対です。どんなに味が良くても、床がベタついてたり、トイレが荒れてたら全部終わる。だから掃除は、技術というより思想ですね。

接客はフランク。でも雑じゃない。必要なときに気づく。必要以上に干渉しない。放っておくんじゃなくて、ちゃんと見てるけど、押しつけない。この距離感を大事にしています。

価格は高めです。そこも誤魔化さない。

良い材料を使って、作りたてを出して、場を保つには、どうしてもそうなる。

初めて来た人には、入口として檸檬ケーキ、黒豆寒天、珈琲ですかね。まず味で納得してもらって、次にスタッフの心地よさを体感してもらう。そこで、あ、なるほど、って腑に落ちた人は、だいたいまた来てくれます。

――そこまで素材にこだわると、商売としては大変じゃないですか。 井川:大変です。ていうか、普通にやったら成立しない。基礎調味料ひとつ取っても、醤油、味噌、油、塩、砂糖。そこからバター、生クリーム、アイスクリームまで、きちんとしたものを使うから、当たり前だけど原価が上がる。 しかも、いい材料ほど繊細で、日持ちもしない。扱いも難しいから、どうしてもロスが出る。ロスが出ても利益を残すには、単価を上げるか、回転を上げるか、どちらかになる。でも単価を上げれば高いと言われる。回転を上げようとして大量に作ると、今度は材料の質を落としたくなる。ここで店は、だいたい妥協するんです。 ボクはその妥協が嫌だった。だから発想を逆にしたんです。ロスを減らすために、なるべく受注生産させよう。必要な分だけ作って、作ったものがちゃんと届く仕組みにする。そのために「お弁当クラブ」みたいな形を考えました。 これが匿名のお客さん相手だと難しいんです。今日何人来るか分からない状態で、いい材料で丁寧に作るのは賭けになる。でも顔が見えて、関係が続く人たちが相手なら、見込みが立つ。見込みが立てば、いい材料を使っても成立させられる。だからメンバーシップは、思想というより経営の問題で、ちゃんと生き残ってくための仕組みなんです。 街にカフェは乱立してて、スタバやコメダ、ドトール、コンビニコーヒーもある。外資も入って、完全にビジネスの競争の世界になってる。昔の町場の喫茶店が置かれていた時代とは、そもそも環境が違う。 そういう状況で「昔のセオリー」をやっていると、結局、最後は大手との勝負になる。ボクはそこに行きたくない。だったら戦い方を変えるしかない。匿名の通行人を相手にするんじゃなくて、顔の見える人と、ちゃんとした材料で、ちゃんと作って、ちゃんと届ける。そういう形にしたい。

記憶に残る店作り

――いま、井川さんはMAMEHICOを、どんな場所にしたいんですか。

井川:店に来る理由って、本来はもっと曖昧でいいはずでしょう。疲れたから、話したくないから、ひとりで座っていたいから。それだけでも、十分に価値がある。

結果や効率を求めない価値観って、昔はもう少し当たり前にありました。ところがこの数十年で、何でも数字、何でも最短距離、何でもKPI、みたいな世界になってしまった。説明しやすいし、管理もしやすい。だから社会全体がそっちに寄っていくのはわかるんです。でも、そのやり方に馴染めない人が確実にいる。ボクはずっとそこに違和感があるし、ここに来る人たちも、たぶん同じ匂いを感じているんだと思います。

だからMAMEHICOは、そういう人のための場所でありたいんです。頑張れない日があってもいい。何かを成し遂げていなくてもいい。ここでは、いることをまず肯定する。息を整える。そのうえで、また生活に戻れる。そういう順番にしたいんです。

スタッフにも、そういう感覚の人が多いです。世の中のノリに馴染めないとか、結果だけ求められるのが苦しいとか。本当はこういう生き方をしたかったけど、できなかった、という人もいる。だからここに来る。ここにいると、少し息ができる。そういう実感があるから、店も続いているんです。

ただ、店がそうあるためには、自分たちは強くないとだめですね。いろんなことを面白がれる距離感がないとだめじゃないかと。

ボクらは渋谷の真ん中で相当耐えてきたんです。渋谷って、消費の街でしょう。あそこで続けるって、きれいごとじゃなく本当に耐え忍ことなんです。耐えるっていうのは、ただ嫌なことを我慢することじゃない。こっちの基準を守ることです。安易に合わせない。折れない。あの街の圧に飲まれずに、自分たちを保ち続ける。その耐えたものに、相手に寄り添える懐ができるんだと思います。

時代が時代なので、ボクらがやってることは、他ではやらないことをやってる、ということになります。効率や結果じゃなくて、関係とか手触りとか、時間の厚みとかを残す仕組みを作らないといけない。

――ずっと、みんなと逆のことをやってきたわけですよね。そこに反省はありますか。

井川:反省はないけど、逆張りが正義だ、みたいな顔をしたいわけじゃないんです。やらないほうがよかったこともあるし、もう少し整理してから実行すべきだったなってことはいっぱいある。そこはちゃんと反省しています。

ただ、それでも結局、ボクらが目を向けているのは、MAMEHICO的なものに価値を感じる人なんです。流行に乗りたいわけでもない、安いから来たい人でもない。情報に飲み込まれて自分の感覚が鈍っていくのが怖い人。自分が感じていることが正しいのか、どこかで確かめたくなる人。そういう人たちっていうのは、かなりいると思う。今の時代の30~40代の働く女性で、子供もいなくて、虚無を感じてない人って逆にいるのかなと。

もちろん、ワタシ虚無です、なんて言わないだろうし、そうはっきりと認識してはいないかもしれないけれど。世の中の複雑さに敏感で、表面的な解決策じゃないところに、本当の答えがあるんじゃないか、と感じている人。そういう人は、日常の社会では孤独になりやすいんですよね。

分かりやすい答えを求める社会だから。これさえやれば大丈夫、みたいなノリに馴染めない人がいる。ボクらは、そういう人たちに向けて、ずっと同じ姿勢を貫いてきました。

それはメニューでもそうだし、ボクが作る作品でもそうです。綺麗事に逃げない。簡単な正解を売らない。そうやって発信し続けていると、必要な人にはきちんと届きます。数は多くないけど、届くときはちゃんと届く。

届いた人には、ここだ、と思ってほしい。自分が大事にしてきた感覚は、ここでは否定されない。むしろ、それでいいんだ、と確認できる。そういう場所としてMAMEHICOが機能したらいいと思っています。

触れる、関わる、支える、創る

――井川さんたちの活動に、興味はあるけど近づけない、って人もいるそうですね。

井川:いるんですよ。ボクも最初は意外だったんですけど、雑話会なんかでよく聞く話です。最近、雑学会みたいな場をやると、ぽつぽつ出てくるんです。十年くらいずっと追っかけてたんだけど、って人が。で、話を聞くと、ずっと自分なんか近づいていいのかなと思ってた、と。シンパシーがあるからこそ距離を取ってしまう。緊張するみたいです。そんなことってあるんだな、と。

だから、こっちも意識的に階段を用意しなくちゃいけないなと思ってるんです。

まず触れる。店に来るでもいいし、動画を見るでもいいし、ラジオを聞くでもいい。いきなり名乗らなくてもいい。まず空気に触れてもらう。

次に関わる。イベントに一回参加してみるとか、メンバーになってみるとか、ちょっとだけ踏み込む。顔が見える距離になる。

その次が支える。メンバーシップとか、応援の側に回るってことです。お金だけの話じゃない。いろんな形で関わってもらうこと自体が、ボクたちの力になる。

そして最後に一緒に作る。手伝うから、責任持って担ってもらう。一緒に作り手側に回るなら厳しくします。いつまでもお手伝い感覚のヒトっていますから。ツメが甘いと言うか、ルーズっていうね。

この階段を用意してるのは、深い関係になってほしいからじゃなくて、自分のペースで近づけるようにするためです。近づいていいのかな、と思ってるうちに10年経ってしまったっていうんじゃね。興味がある人には、まず関わってみてください、と言いたい。そこから先は、無理のないところで、一段ずつでいいんです。

――井川さんご自身は、表現と商売をどう両立させているんですか?

井川:MAMEHICOは、仲良くしながら、クオリティも落とさない。これが一番むずかしいけど、そこをやりたい。だからボクはこれを、頑張れベアーズって呼んでます。強いチームがスマートに勝つんじゃなくて、弱そうなチームが、泥くさく、でも誠実に勝ちにいく感じです。

店って、売れればいい、ビジネスです、となると、すぐなんか圧が弱くなるんですよ。逆に、アート作品だと思って、商売を捨てれば続かない。続かなければ、結局、誰にも届かない。だから両方を成立させたい。バランスの問題で、ボクなら成立させられると思っています。

――井川さんって、人の気持ちを汲み取る天才だ、と言われることがありますよね。

井川:言われますね。でもボクとしては、天才っていうより経験則です。たぶん幼い頃から、転校が多かったから場の空気を読むのが生き延びる術だったんだと思います。誰がいま無理して笑ってるのかそういうのを、つい見てしまう。というか、見えてしまう。

ただ、気持ちを汲み取るけど、べつに優しいわけじゃないですよ。ボクの中では、バランスの問題です。こっちの正しさだけで押し切らない。かといって相手の事情で譲ったら、こっちが困る。その間を探す。だからボクが誠実とするなら、結局はその調整を逃げずにやってきただけなんです。

場がちゃんと成立する方向を探す。これは楽な業じゃないし、こっちは損するし、あんまり良いこと無い。でも、そこを放り出した瞬間に、場の空気って一気に崩れるでしょう。ボクはそれが嫌なんです。

――よく、後ろに変な団体がいるんじゃないか、とか言われません?

井川:言われますね。「お金、どうしてるんですか」とか。「誰かが裏で出してるんじゃないか」とか。

人は理解を超えると、裏を探したくなるものでしょう。うちみたいに、効率や拡大を最優先にしているように見えないのに潰れないと、「あんなふうに好き放題やってて、それで成り立ってるのは、誰かが支えてるからだろう」と思ったほうが理解しやすい。「井川はどっかの御曹司なんじゃないか」みたいな噂も聞きました。

実際は、自分たちの手だけで店は回しています。毎日こつこつ手を動かして、場を整えて、積み上げていくことしかやっていません。派手な一発はないし、楽な仕組みもない。ただ地味に続ける。それしかないんです。

もし、金のなる木みたいなものがあって、それに頼ってしまうと、必ずどこかが歪む。だから、ボクはそっちを選びません。

疑う人は疑うでしょう。でも、それを説得するのは、ボクたちの仕事ではないと思っています。実際に店に来て、見ればわかるはずです。やってることは単純で、黙って、地味に、こつこつ続ける。それだけです。

――井川さんやMAMEHICOのコミュニティに入ることによるメリットってありますか?

井川:コミュニティの良さって、売りを伝えにくいんですよ。だって人間関係そのものだから。私と友だちになるメリットは?って伝えにくいでしょう。

ベネフィットを明確に伝えにくい、というのが目下の課題です。

でも、MAMEHICOに初めて来た人にとっては、デザートや珈琲が美味しいとか、空間が落ち着くとか、スタッフが感じいいとか、まずはそこが全部です。そこで納得できないのに、コミュニティがどうこうと言われても、正直、ピンとこない。これは当たり前だと思います。

来店のベネフィットはありますよ。どんなものでも作りたてを食べられること。黒豆寒天の白玉もその場で茹でて冷やしますから。それとスタッフがお客さんに媚びず、同等の立場として接すること。だから必要なときに気がきいて、必要以上に干渉しない。こういう姿勢をベネフィットと感じてもらえる人だけが来ればいいと思ってる。

その上で、コミュニティには、店か気に入ったら関わるわけでしょ。そこから回を重ね支えるになり、やがて一緒に作るになる。そういう順番を用意しているので、あとは偶然任せな設計です。

コミュニティに入ってる人は、店にふらっと来ても、対話したりする仲間がいる。今日は一人がいいなら、ほっといてくれる。ここを居場所にしたいと思う人が、自分のペースで一段ずつ進めば、それでいいんです。

 

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