御影の店がオープンしてから、毎日若いスタッフと一緒に働いています。
みんなやる気はあるし、向上心もある。
だけど、なかなか伸びない。
一度注意されたことを、彼女たちは心の底から「直したい」と思っているはずなのです。
だけど、
何度も、何度も、同じ注意をされてしまう。
一生懸命やっているのは知っているから、
可哀想だよなぁ、と思いつつ。私の方も、何度も、何度も、同じ注意をしてしまう。
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やる気はあるので、
「この仕事、私にやらせてください!」と前向きな申し出がある。
「いいけど。決めたからには、中途半端にしないで継続するんだよ。最後までやるんだよ。」と、話す。
「はい!もちろん!
やるからには、きちんとやります!」と、威勢のいい返事が返ってくる。
だけど、いつの間にか、やらなくなる。
もう自分が「やります!」と言ったことが、あたかも無かったかのように…。平然とした顔で、やらなくなっている。
「やろうとしてるけど、できていないんです!」
というよりも。
やろうとしていたことが、なかったことになってしまっている。。。
ついこの間までの私も、そんな感じだった。
だから、自分を客観視しているような気分で。彼女たちの感覚もわからなくない。
さて、、これは、なんなのでしょうか。
ちょっとした現代病なのかもしれない。
社会の仕組みや教育が、個人戦になってしまっているからなのでしょうか。
自分のやったことが、点数として評価される。
いかに、周りを追い越し、最短で点を得るか。
自分の理性を問われるより先に
ノウハウを覚えてしまう。
考えや哲学が育ってなくても。
論破する手段(ディベートの授業があるように)だけは、教わってしまう。
そうして、決められたゴールのある世界で、周りを遮断して戦う。
そういう日々の中で、生きるとは、循環する(動的である)ということを、忘れて行ってしまう。
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彼女たちが、言ったことをやらなくなるのは、
「自分の事しか考えていない(見えていない)から」なんじゃないかと、思います。
自分の行動の先に、誰かがいる、ということがわかっていないのです。
自分が行動しなかった。約束を守らなかった。=自分の評価が下がる
自分が行動した。約束を守った。=自分の評価が上がる
としか、捉えていないのですね。
行動自体が、受け身になってしまっている。
でも、そうじゃない。
あなたが、「これをやりたい」と思う。
自分で決めたことを、きちっとやっている。
もしくは、やろうと必死にもがいている。
あなたが命を燃やしている
その姿を見た誰かが。
「あの子が頑張っているんだから、私だってやらなくちゃ。」と思う。
あなたが動くことは、あなたの評価なのではない。
自分の命を燃やすこと。
そして、あなたの後ろにいる、誰かにも火がつく。
その誰かが動き出して、
あなたの後ろに光が当たる、ということ。
そうやって、また誰かが動き出し、その人の背中にまた光が当たる。
逆に、あなたがやらなくなれば、とたんに、ほかの誰かもやらなくなる。
そうやって、あなたの今いる場所は、動きを失い、すぐに衰退してしまう。
他人からの評価なんて、関係ないのですね。
でも、点数や結果ばかりを追いかけさせられていては、こういう循環に、鈍くなってしまうのもわかります。
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「あなたが、自分で決めたことを最後までやらない、ということは。
あなたの評価が下がる、ということではない。
誰かのチャンスを、奪っている、ということなんだよ。」
と、お昼休みに若いスタッフに話しました。
「わたしがしたことが、誰かに影響するなんて、考えたこともありませんでした。」と、返事が返ってきました。
仕事とは何か。
生きるとは何か。
若い子たちと一緒に、学ぶ日々であります。
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