3月 30 2023 ブログ 遠足をする、その意義とは イベントスタッフの坂本です。 もう何年も前から、井川さんはMAMEHICOのお客さんたちを巻き込んで「遠足」をやっています。 遠足というと、目的地が決まっていて、みんなで行くものが一般的でしょうか?旅程が書いてある栞なんて持っちゃって。「お家に帰るまでが遠足です」とか言っちゃって。 でも、MAMEHICOの遠足は違います。目的地を決めない散歩、という表現がいちばんしっくりきます。 集合時間と集合場所だけが決まっているので、みんなが集まったら出発!ぞろぞろと列をなして、歩いていて楽しそうな道をなんとなく選んで進んでいく。まっすぐな幹線道路よりは、くねくねとした裏道を進んでいく方が多いです。 ただ歩くだけなので、道端の雑草を眺めたり、野良猫の写真を撮ってみたり、あぁもうこんな季節なのね!と感想を口にしたり。目的地が決められていないので、必然的に余裕があります。 お腹が空いたら、ピクニックシートを広げて、手作りのお弁当を一緒に食べる。おやつも、おっ!美味しそう!という個人店を見つけたら寄ってみる。ハプニングはつきもので、突然土砂降りに見舞われたり。 まぁ、そんなふうに歩いているうちに、いつもは見過ごしてしまうようなことが、目に飛び込んでくるのです。 以前、井川さんはこう言っていました。 『ボクたちの遠足の目的は、「輸送」ではありません。「輸送」とは「出発地点と到着地点という点を直線で連結し、荷物に変化を加えないよう横断させる行為」のこと』 MAMEHICOの遠足は、それに対するように、「最終目的地が決まっておらず、歩みを進めるつど、そのまわりの世界を感じて、それらと親密に関わりながら、通り抜けていく運動」だと。そして後ろを振り返ると、直線ではない、寄り道で曲がりくねったライン、足跡が刻みこまれているんだと。 つまりは、新幹線のように、定規で線をびーっとひいたかのような路は、効率性だけを最優先としているただの輸送なのです。対して、てくてくと、時には寄り道もしてるような足跡は、その人ならではの道が出来ているものです。足跡とは、その人の身体の一部であって、身体性を伴うことでしょう。 あなたはどんな足跡で、どんな道を歩むのか。そして、一人で早くたどり着くのか、みんなと一緒に遠くまで歩くのか。 目的地は決まっていないけれど、道中で感じることはきっと多いはず。あぁ。遠足の問いのようで、まるで人生の問いのようですね。 春も盛りの今日この頃、遠足シーズン突入です。*****4月にもメンバー向けに遠足の企画をしています。興味がある方は、お店のスタッフまで気軽にお尋ねください。 関連投稿: 小さな奇跡 演劇を通して 希望の街 神戸 「クッキー缶」のご注文受付中!! Post Share Hatena Pocket RSS feedly Pin it 投稿者: SAKAMOTOブログコメント: 0 生き物を扱う MAMEHICOのロゴ
この記事へのコメントはありません。