こんにちは。MAMEHICO東京スタッフの原幸子です。
年明けから、YouTubeで連続ドラマ『ノッテビアンカ』をお届けしています。
私は劇中で、九重マイコ役を演じています。
ふだんはカフェスタッフとして、東京と桐生を行き来する日々ですが、この作品では、普段とは異なる自分の一面と向き合っています。
さて、Vol.6 Act.2のテーマは「アトム」。
この回で特に印象に残っているのは、高本という人物が登場する場面です。
彼は、父と二人暮らし。同居していた父親が亡くなった後、遺体を半年以上も自宅に放置し、遺棄の疑いで逮捕されました。
取り調べで刑事は問いかけます。
介護士として働いていた彼が、なぜ父親の最期をきちんと見送れなかったのかと。
それに対して、高本は「どうしていいか分からなかった」と答えるのです。
その言葉に、私ははっとしました。
自分ももし、高本のように頼れる人がいない状況で、早朝に出かけて深夜に帰るような生活を続けていたとしたら──
やはり「どうしていいか分からなかった」と言ってしまう気がしたのです。
亡くなった家族をきちんと見送るのは、たしかに当然のことです。
けれど、父との関係がうまくいっていなかったり、生活に余裕がなかったりすれば、現実にはすぐに動けないこともある。
父の異変に気づいていたとしても、どうしていいかわからないまま、時間だけが過ぎてしまう──
そういうことは、誰にでも起こりうるのだと思いました。
私は、そんな高本の姿に強く感情移入してしまいました。
人はいつも、理屈だけでは動けない。
井川さんの作品は、そうした心の揺れや複雑な感情に、脚本や演出の端々から静かに光を当てていると感じています。
三世代での同居は減り、核家族や単身世帯が増えるなか、家族との関係も次第に希薄になってきました。
一方で、仕事は多忙を極め、仕事以外で人と関わる機会が限られている人も少なくありません。
私自身を振り返っても、「なんだか一人ぼっちだな」と感じることがあります。
ときには社会を恨んでみたり、あるいは自分を責めてしまったり。
そんなふうに、生きづらさを抱えてきた時間が、これまでに何度もありました。
物語のなかで、高本は勾留所で弁護士と出会います。
そのとき交わされた言葉が、心の奥に静かに届きました。
私はそのシーンを観て、涙が止まりませんでした。
桐生と東京を行き来する生活の中で、私はあらためて、人とのつながりの重みを実感しています。
とくに、MAMEHICOに集う方々と、明るく前向きな関係を築いていくことは、自分にとって大きな支えです。
そうした関係が生まれたのは、気軽に関われて、誰かとつながることのできる「メンバーシップ」の仕組みがあったからだと思います。
このしくみがなければ出会えなかったかもしれない、深く語り合うこともなかったかもしれない──
そう感じるようなお客さまと、静かに関係が育っていく場面を、何度も目にしてきました。
挨拶を交わす。ちょっとした言葉を添える。
そんな日々のやりとりの中で、互いの存在をそっと確かめ合えるような空気が、MAMEHICOにはあります。
それは決して特別なことではありませんが、たしかに温かく、やさしいものです。
この小さなつながりの積み重ねが、閉ざされがちな今の社会に、ひと筋の風を通してくれるのではないか──
そんなふうに感じています。

連続ドラマ「ノッテビアンカ」
全8話(vol.1〜8 Act.1,2,3/24回)
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