これを読む若いヒトへ。
いよいよテレビが終わろうとしている。無論、放送は続くでしょう。
けれど、かつて社会のど真ん中に鎮座していたものが、じわじわと隅へ押しやられ、溶けていく今の様子から、もう気骨だったテレビはもとに戻らないのだと、さみしくなる。
ボクが育った団地の家では、朝も夜もテレビの音がしていた。
家族の会話よりも、画面の向こうの声のほうがうるさかった。
居るのが当たり前、テレビはボクの家では、間違いなく家族のひとりだった。
やがてボクは大人になり、テレビ番組を作る側に回ることになる。
見ていた側から、作る側へ。
テレビの現場に入ったのは、もう30年ほど昔のこと。
これはボクの感想だけれど、その頃から、テレビは傷みはじめの匂いがしていた。
調整、忖度、効率、事なかれ。
現場は「何も起こらない」ことに力を尽くす場へと変わりつつあった。
だから、ボクはテレビを諦めることにした。
そしてMAMEHICOを始めたのだ。
もし、あのときテレビに絶望していなければ、ボクはMAMEHICOをやろうなんて考えなかった。
だから今、テレビの終わりを前にして、さみしさと、よく持ったほうだなという諦めと、逝こうとしている家族を複雑な気持ちで見ている。
かつてテレビは、ハズレものを主人公にしてきたものだ。
学校にも会社にも馴染めず、空気も読めず、ルールに従わない。
そんな人間が、最後には自分の信じた道を貫く
長らく、そういう不器用だけど誠実な生き方に光を当て、声援を送ってきた、はずだ。
「長いものに巻かれるな」「自分の頭で考えろ」
ドラマの主人公は、そう言い続けた。
けれど。
そのセリフを作っていた側が、率先して巻かれていったのはなぜだろう。
光を当てるべき現実の「異端者」を無視し、「異端者風」を飾り立てたのはなぜなんだ。
それがテレビの終わりを、早めたんじゃないのか、と腹が立つ。
テレビの創世記には、闘うヒトたちがいた。
金もヒトも足りなかったが、映画に負けまいと、知恵と根性で番組を作るプロデューサーやディレクターがいた。
しかし熱も気概もすり減った現場からは、あの人も、この人も去っていくのを、ボクは見送ってきた。そして自分も、抜けた。
なぜ自分たちの襟を正すことはできなかったのだろうかと、外野に出ても思った。
あれだけ視聴者には、「自分の頭で考えろ」と警鐘を鳴らしていたのに。
「まあ、あれはドラマなんで」となんで嘲笑するものが出世したのだろう。
それはテレビに限った話じゃないのだと、カフェを始めてから知った。
社会全体がそうなってしまったのだ。
重い話を敬遠し、正論を煙たがり、茶化すほうがウケる社会。
その「軽さ」が、かっこいいとしたから、どうだこのざまだ。
テレビは、それをただ映していただけにすぎないのだと思う。
まったく鶏と卵だ。
いま、テレビとともに、その時代が静かに終わろうとしている。
テレビもこの社会も、寿命だったんだろうと思えば諦めもつく。
ひとつの時代が終わり、また新しい君たちの時代が始まる。
ただ、それだけのことだ。
ボクの始めたMAMEHICOには、テレビ創世記の志は残っているか?
「おかしい」と思うことには、「おかしい」と言い続けているか?
そして、自分たちの襟を正すことはできているか?
