2007/06/18

袖触れ合うのも他生の縁/井川

渋谷店オープンまで2ヶ月、お芝居まで1ヶ月となりました。

週末の稽古は2/3まで通し稽古ができ、いよいよな感じです。
ただ、チケットは全然売れてないからね。
スカスカの舞台でやるのかと思ったら、夜中にうなされるよ。

先週はテレビのほうの採用の面接ラッシュが続いたけど、
それも今週はひとしきり落ち着き、
来週からはマメヒコの渋谷店の採用が始まります。

WEB mamehico.comのほうもやっとアップできて、
くだらないボクのおしゃべりがメインですけど、
まぁ、あちらのほうものぞいてみてください。

マメヒコ三茶も明日から夏のメニューにするから、
そのメニューの印刷もいま終えたとこ。
今回は台湾の豆花(トゥーファ)をヒントにした
デザートを考えたから食べてみてね。

・・・いまお店で働いているマメGたち。
面接に事務所まで足を運んで来れたかたがた。
・・・その中で受かる人、落ちる人。
渋谷店オープンのために関わる大勢のスタッフさん。
・・・芝居に出てくれる人、手伝ってくれる人。
声には出さなくとも、このブログを読んでくれてる人。
・・・中には読んでメールをくれる人。
お店に足しげく通ってくれるお客さん。
・・・古い友達。かつての恋人。
一緒に戦っていた戦友と呼べるあなた。

ダダダダダ、といろんなことをやっていると、
実に多くの人たちとボクは関わっていて、
こういう風にすき放題やらせてもらえているのも、
ボクのことを大目に見てくれている多くの人が、いるからだと思っています。

でも。袖触れ合うのも他生の縁というけれど、
そうして関わってくれるみんなは、
やはりなんかの縁でつながっているのだと、
この頃とても思うわけです。

たとえば。
今のボクがなぜお芝居をやったり、カフェをやったり、
映画を撮りたいと思ったり、
テレビの会社をしているのかといえば、
それは、小学校のとき、
担任だった女の先生がボクをとてもほめてくれたからなのです。

東京の小学校から仙台のはずれの
小さな小学校に転校したのは3年生のとき。
小さいながらに転校というのはとってもいやだった。

スプリンクラーのついた近代的な校庭から、
墓地に囲まれ二宮金次郎が立つ校庭に変わったのも
とてもショックだった。

でも、3,4年生と担任だった白坂久子先生は、
クラスのお楽しみ会やお誕生会をいっぱいしてくれて、
そのときの出し物(お芝居とか紙芝居とか)で、
ボクはいっぱい「面白いね井川君」とほめてもらったから、
いまのボクがあるのは間違いありません。
あのときの小学生のボクが、いまでもどこかで
ほめてもらえやしないかと、
33歳のボクを突き動かしているのです。

おととしになるかな。
履歴書を持って事務所にマメヒコの応募面接をしに
きた女性がいました。
ボクは彼女を見たときなぜだかアッと思ったのですね。
それで、唐突だけれど
「君小学校はどこ」って聞きました。
そしたら、
「仙台の通町小学校の出身です」って言う。
それは、かつてボクが通ったあの墓地に囲まれた小学校
だったんです。
彼女はボクと8つほど若いのだけれど、
ボクが白坂先生に出会い将来こういうことを続けたいなと、
思ったその年に、彼女は仙台で生まれてることになります。
彼女はボクが二十歳のときに小学校を卒業してるのだから、
同級生だったわけじゃないし関係ないといえば
まったく関係ないのだけれど、
日本の小学校の数は約24000校あるのだからね。
不思議な縁といえば不思議な縁です。

そして、そのとき面接した彼女が、
いまの三茶のマメヒコの店長をしてる恵ちゃんなのだから。
なにかの縁というのがあると思ってしまうのです。

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