なにかを成し遂げたいという気持ちが、
あるわけではないんだよね。
野心家ではないんだよ。

いつもその時のキラキラと
光るものだけを見ていたい、
そういう願望は小さい時からあったの。

人間の中に暗闇があることに気づいて、
おびえたことも
幼稚園の頃はあったけど、
多くの不幸は、自分には起こらない、
かといって思いがけない
幸運も起こらない。
というのがわかってからは、
いつも現実を冷ややかに見ていた。

現実の中に物語を
見つけるのが好きなのは、
冷ややかな現実を直視してきたから。
現実を茶化したいという
気持ちはすごくある。

物を創るのが好き。
創ることでヒトと知り会える。
創らなければ、
ずっと独りでいるとおもう。
孤独には慣れっこなんだ。

ヒトと比べると、
ずいぶん違うなーと思う。
ヒトの観察はよくしている。
観察したことは、
本人に伝えることもあるけど、
大抵は、じっと溜めておく。
そのうち、溜めたものが
発酵したようになって、
物を創るときに役に立つ。

そういう蓄積があるから、
話せと言われれば、
何時間だって話せるし、
なにか書けと言われれば、
同じようにいくらだって書ける。
でも現実は、しゃべりすぎて
褒められることはないし、
だれも書け書けなんて言わないから、
飲みもしないどぶろくの壺が
溜まっているようなもの。

お金に執着はない。
他人にどう思われようと
気にならない。
言葉尻をつかまえて、
食って掛かるヒトもいるけど、
関わらなければいいわけで、
細かいことは、
どっちだっていいと思う。

ユーモアのあるヒトが好きだし、
そうなりたいと思う。
神、金の次は、
ユーモアだと勝手に思ってる。
22世紀はユーモア主義。

ユーモアというのは、
決まったなんかがあるわけじゃなくて、
視点であり解釈なんだよ。

朝の電車で
「なんでこんなに混んでるんだ」、
と怒りだしたおじさんがいたとする。
そのおじさんに、
ランドセル背負った子供が、

「おじさん、それなら降りてよ。
おじさんの分、空くから」、

と言ったらさぞ楽しい。

今は早朝から深夜まで、
なにかしらやることがある。
ボーっとする時間はまったくない。
どれもスケールの
小さなことばかりだから、
油断すると気が滅入る。
パッと独り旅に出れればいんだけど、
そんな時間もない。
そんなときは、
青い空にイチョウがきれいだとか、
シューマンの交響曲を
大音量で聞くとか。
ウディ・アレンや木下惠介みたいな、
価値観の似た監督の映画を、
かじり見たりするとかして、
気を紛らわす。

ほんとは、もっとスケールの
大きな人間になりたかったけど、
カフエで働きすぎて、
随分と小さくなった。
大型車より、
小型のハイブリッド車のほうが、
生きやすい。

テレビや映画、本、雑誌、古い喫茶店、
に触れて育った。
だからそういうものの
手触りが好きだけど、
みんな虫の息になっちゃった。
やっぱり寂しい。

テクノロジーの
進化ばかりが注目されて、
身近な発見や発明には
価値が失くなっちゃった。
人件費が高くなりすぎちゃって、
そこにお金を
かけられなくなっちゃったせいだね。
だからマメヒコは
家族経営の団子屋さんみたいな、
場所にするしかないと思う。

SOHOやBrooklynの倉庫が
カフエになったように、
空き家を改築してカフエにして、
そこに小さな家族みたいなのを
それぞれ作って、会社は
その元締めみたいに
なるしかないのかなと思う。

結局のところ、
規模の問題なんだと思う。
大きくしたいヒトがいるけど、
そうなりゃ管理が
仕事の大半になってしまうわけで、
そんなことやる気ない。
大きな組織が総取りするのは
世の常だけど、古今東西、家族で
経営している屋台までは、国家でさえ
入り込むことはできないんだよ。
小さなサイズで、
好きなことやったほうが
いいに決まってるんだよね。

雲の高さは、雲の意思で高さが
決まってるわけじゃないじゃない。
気温と気圧の関係で雲の高さが
決まってるんだよ。
カフエのサイズの問題なんて、
ボクがたとえ優秀な経営者だとしても、
ボクの力が及ばないところで決まる。
なにより優秀でもないしね。

これを書いてても、
誰が読んでるのかさっぱりわからない。
読んでまーすとは言わないからね。
だけど焼き林檎の
宣伝ばかり書いてあったり、
結局は自慢話だったり、
そういう人となりは
行間に垣間見えるからね。
もっと素晴らしければ
反応あるのかなとか思うけど、
それもボクの力が
及ばないところだから。

多少、年上の瀬尾さんに
気を遣うくらいで、
誰に気兼ねする必要もない。
ポジショントークをする必要もない。
書いた文章や言ったことに
訂正を求められることもない。
それはそれで、満足しているんだよな。

5+
mamehico井川さんの本音なにかを成し遂げたいという気持ちが、 あるわけではないんだよね。 野心家ではないんだよ。 いつもその時のキラキラと 光るものだけを見ていたい、 そういう願望は小さい時からあったの。 人間の中に暗闇があることに気づいて、 おびえたことも 幼稚園の頃はあったけど、 多くの不幸は、自分には起こらない、 かといって思いがけない 幸運も起こらない。 というのがわかってからは、 いつも現実を冷ややかに見ていた。 現実の中に物語を 見つけるのが好きなのは、 冷ややかな現実を直視してきたから。 現実を茶化したいという 気持ちはすごくある。 物を創るのが好き。 創ることでヒトと知り会える。 創らなければ、 ずっと独りでいるとおもう。 孤独には慣れっこなんだ。 ヒトと比べると、 ずいぶん違うなーと思う。 ヒトの観察はよくしている。 観察したことは、 本人に伝えることもあるけど、 大抵は、じっと溜めておく。 そのうち、溜めたものが 発酵したようになって、 物を創るときに役に立つ。 そういう蓄積があるから、 話せと言われれば、 何時間だって話せるし、 なにか書けと言われれば、 同じようにいくらだって書ける。 でも現実は、しゃべりすぎて 褒められることはないし、 だれも書け書けなんて言わないから、 飲みもしないどぶろくの壺が 溜まっているようなもの。 お金に執着はない。 他人にどう思われようと 気にならない。 言葉尻をつかまえて、 食って掛かるヒトもいるけど、 関わらなければいいわけで、 細かいことは、 どっちだっていいと思う。 ユーモアのあるヒトが好きだし、 そうなりたいと思う。 神、金の次は、 ユーモアだと勝手に思ってる。 22世紀はユーモア主義。 ユーモアというのは、 決まったなんかがあるわけじゃなくて、 視点であり解釈なんだよ。 朝の電車で 「なんでこんなに混んでるんだ」、 と怒りだしたおじさんがいたとする。 そのおじさんに、 ランドセル背負った子供が、 「おじさん、それなら降りてよ。 おじさんの分、空くから」、 と言ったらさぞ楽しい。 今は早朝から深夜まで、 なにかしらやることがある。 ボーっとする時間はまったくない。 どれもスケールの 小さなことばかりだから、 油断すると気が滅入る。 パッと独り旅に出れればいんだけど、 そんな時間もない。 そんなときは、 青い空にイチョウがきれいだとか、 シューマンの交響曲を 大音量で聞くとか。 ウディ・アレンや木下惠介みたいな、 価値観の似た監督の映画を、 かじり見たりするとかして、 気を紛らわす。 ほんとは、もっとスケールの 大きな人間になりたかったけど、 カフエで働きすぎて、 随分と小さくなった。 大型車より、 小型のハイブリッド車のほうが、 生きやすい。 テレビや映画、本、雑誌、古い喫茶店、 に触れて育った。 だからそういうものの 手触りが好きだけど、 みんな虫の息になっちゃった。 やっぱり寂しい。 テクノロジーの 進化ばかりが注目されて、 身近な発見や発明には 価値が失くなっちゃった。 人件費が高くなりすぎちゃって、 そこにお金を かけられなくなっちゃったせいだね。 だからマメヒコは 家族経営の団子屋さんみたいな、 場所にするしかないと思う。 SOHOやBrooklynの倉庫が カフエになったように、 空き家を改築してカフエにして、 そこに小さな家族みたいなのを それぞれ作って、会社は その元締めみたいに なるしかないのかなと思う。 結局のところ、 規模の問題なんだと思う。 大きくしたいヒトがいるけど、 そうなりゃ管理が 仕事の大半になってしまうわけで、 そんなことやる気ない。 大きな組織が総取りするのは 世の常だけど、古今東西、家族で 経営している屋台までは、国家でさえ 入り込むことはできないんだよ。 小さなサイズで、 好きなことやったほうが いいに決まってるんだよね。 雲の高さは、雲の意思で高さが 決まってるわけじゃないじゃない。 気温と気圧の関係で雲の高さが 決まってるんだよ。 カフエのサイズの問題なんて、 ボクがたとえ優秀な経営者だとしても、 ボクの力が及ばないところで決まる。 なにより優秀でもないしね。 これを書いてても、 誰が読んでるのかさっぱりわからない。 読んでまーすとは言わないからね。 だけど焼き林檎の 宣伝ばかり書いてあったり、 結局は自慢話だったり、 そういう人となりは 行間に垣間見えるからね。 もっと素晴らしければ 反応あるのかなとか思うけど、 それもボクの力が 及ばないところだから。 多少、年上の瀬尾さんに 気を遣うくらいで、 誰に気兼ねする必要もない。 ポジショントークをする必要もない。 書いた文章や言ったことに 訂正を求められることもない。 それはそれで、満足しているんだよな。