テレビ局に勤めていた角田陽一郎さんと、マメヒコをやっているボクとで2年近く、
マメヒコのラジオを通して色々なことをしゃべりました。
途中、角田さんはテレビ局をお辞めになり、
いまはフリーランスのプロデューサー、
本の執筆と、忙しく活動されてはおります。

マメヒコのラジオなので、だれも聞いてません。
だからでしょう、マスメディア慣れしている角田さんも、
マメヒコだからとすっかり油断し、ラジオでは色々まずいこともしゃべってしまっていました。

テレビへの強い想い、かわいさ余って憎さ百倍。
カフエ店主というなんの利害関係もないボクに対し赤裸々に語ってくれたエピソードの数々は、
ボクにとっても新鮮だったし、時になんとも歯がゆいこともあったり、
2年近く角田さんとお付き合いして、
ボクのほうが忘れていたテレビへの情熱に、ポッと火がついてしまったのでした。

 

ちょっとボクの話をします。
ボクは1973年生まれです。団塊の世代ジュニアと呼ばれる一定の世代のなかで、
もっとも子供たちの数の多い学年にあたります。
小学校に入学するときも、中学に入学するときも、
「あの数が多い学年の子供たちが入学しました」と、ニュースにさえなりました。

ボクはテレビっ子でした。いやあの頃の子供たちは、みんなテレビっ子だったはずです。
いまなんかと比べようもないくらい、みんなテレビに夢中になり、
そして、テレビが好きでした。

ボクもその一人で、「いつかテレビの中で仕事したい」と本気で思っていたので、
大人になって迷わずテレビの世界に入りました。

先日、ある本を読んでいた時、ふと、テレビについてこんなことが書かれていた、深くうなずきました。

いわく。
戦後の日本は、復興目覚ましく、労働者はみな田舎の農村を捨て、都会に出てきたんだと。

いわく。
都会の家はみな狭く、テレビは茶の間の中心に置くほかなかった。
郊外のベッドタウンは、文字通り寝るための街で、娯楽、ましてやカルチャーなどとは程遠く、
ゆえに家族は、ひたすらテレビを見るほかなかったと。

家族みんな、テレビを通じ、時のニュースを知り、流行りの音楽を聞き、
世界のカルチャー、世間の道徳を知り、またそのことを話したんだと。
テレビがそれほどまでに影響力を持ちえたのは、
戦後の一過性の偶然によるものであったのだと。

これを読んだとき、あぁ、うちだ。と思いました。
そしてそのときテレビを見ていた少年のひとりが、
ボクであり、そして角田さんなんです。

角田さんは大学を出てテレビ局に入り(とても狭き門だったはずです)、
ボクは大学受験に失敗し、テレビ業界にどさくさ紛れに入りました。

あれからテレビを捨て、ボクはカフエを始めました。

ボクも駆け出しのディレクターだったとき、
企画書を何本書いてもちっとも通らなかった時代というのがありました。
ほんとに何本書いても通らないのです。

そのうち企画書を書くのが馬鹿馬鹿しくなり、番組一本の予算が5,000万円と聞いて、
ボクは銀行に行って5,000万円を借りてきました。
それでなにやろうかと考えて、「日本古来の豆と珈琲をコンセプトにしたカフエ」という番組を、
作りました。

それがマメヒコなのです。
そして角田さんもテレビ局を辞めて、いまボクとマメヒコでラジオをしている。

「テレビがそれほどまでに影響力を持ちえたのは、
戦後の一過性の偶然によるものであったのだ」
というフレーズはショックでした。

ショックでしたが、確かにそうなのです。

小さいころボクらの見ていたテレビと、いまのテレビでは、
何もかも違う。
ボクらのテレビは、そもそもブラウン管でダイヤル式だったし、
もちろんリモコンなんかあるはずもなく、いつもゴースト、画面が二重に写っていた。

それがデジタルだって!?と変わり、ハイビジョンってなによ!?となり、
16:9だってさ!? 液晶で壁掛け!?!?

いまとなっては、どれもとうに時代遅れ、
「ていうかテレビとか見ないんですけど、なにか?」となってしまったのです。

貧しさからの脱却という夢が希望が家族にあり、物もよく売れた時代にアナログテレビは輝けた。
少子高齢化、人口減少、ちっとも売れないという時代に、
ハイビジョン、4K、8Kのハイ番組は再び輝けるのか、というと、
もうあの頃のようにはならないと誰もが思っている。

それでも、いまの現状の中で、
あの頃以上に、体を張って番組を作っているヒトをボクは知っています。

広告では物が売れない時代に、
テレビに多額の広告費を払い続ける会社が、これからどれだけあるでしょうか。

広告費で番組を制作している民放各局は、これからどうなるのでしょうか。
その広告費に群がっていた芸能人や、スタッフはこれからどうするのでしょうか。

時代が変わってるなかで、ボクらが好きだったテレビがどうなるのか。
そういうことを角田さんや参加者のみなさんと話してみたいと、これを企画しました。

カフエ マメヒコ 井川啓央


公開収録について。
下記フォームから、ご予約承ります。

▼出演:
テレビプロデューサー/角田陽一郎
カフエ マメヒコ 店主/井川啓央

▼日時:8/30(水)
    19:30-21:30

▼場所:カフエ マメヒコ宇田川町店
    渋谷区宇田川町 37-11
    セブンイレブン下

▼参加費:お豆賃(300円)をいただいております。

ただいまご予約受付中です。
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https://i0.wp.com/mamehico.com/wp-content/uploads/dff92cfd84ff85016fb66ca0714a7b7a-1.jpg?fit=550%2C367https://i0.wp.com/mamehico.com/wp-content/uploads/dff92cfd84ff85016fb66ca0714a7b7a-1.jpg?resize=150%2C150mamehicoお知らせテレビ局に勤めていた角田陽一郎さんと、マメヒコをやっているボクとで2年近く、 マメヒコのラジオを通して色々なことをしゃべりました。 途中、角田さんはテレビ局をお辞めになり、 いまはフリーランスのプロデューサー、 本の執筆と、忙しく活動されてはおります。 マメヒコのラジオなので、だれも聞いてません。 だからでしょう、マスメディア慣れしている角田さんも、 マメヒコだからとすっかり油断し、ラジオでは色々まずいこともしゃべってしまっていました。 テレビへの強い想い、かわいさ余って憎さ百倍。 カフエ店主というなんの利害関係もないボクに対し赤裸々に語ってくれたエピソードの数々は、 ボクにとっても新鮮だったし、時になんとも歯がゆいこともあったり、 2年近く角田さんとお付き合いして、 ボクのほうが忘れていたテレビへの情熱に、ポッと火がついてしまったのでした。   ちょっとボクの話をします。 ボクは1973年生まれです。団塊の世代ジュニアと呼ばれる一定の世代のなかで、 もっとも子供たちの数の多い学年にあたります。 小学校に入学するときも、中学に入学するときも、 「あの数が多い学年の子供たちが入学しました」と、ニュースにさえなりました。 ボクはテレビっ子でした。いやあの頃の子供たちは、みんなテレビっ子だったはずです。 いまなんかと比べようもないくらい、みんなテレビに夢中になり、 そして、テレビが好きでした。 ボクもその一人で、「いつかテレビの中で仕事したい」と本気で思っていたので、 大人になって迷わずテレビの世界に入りました。 先日、ある本を読んでいた時、ふと、テレビについてこんなことが書かれていた、深くうなずきました。 いわく。 戦後の日本は、復興目覚ましく、労働者はみな田舎の農村を捨て、都会に出てきたんだと。 いわく。 都会の家はみな狭く、テレビは茶の間の中心に置くほかなかった。 郊外のベッドタウンは、文字通り寝るための街で、娯楽、ましてやカルチャーなどとは程遠く、 ゆえに家族は、ひたすらテレビを見るほかなかったと。 家族みんな、テレビを通じ、時のニュースを知り、流行りの音楽を聞き、 世界のカルチャー、世間の道徳を知り、またそのことを話したんだと。 テレビがそれほどまでに影響力を持ちえたのは、 戦後の一過性の偶然によるものであったのだと。 これを読んだとき、あぁ、うちだ。と思いました。 そしてそのときテレビを見ていた少年のひとりが、 ボクであり、そして角田さんなんです。 角田さんは大学を出てテレビ局に入り(とても狭き門だったはずです)、 ボクは大学受験に失敗し、テレビ業界にどさくさ紛れに入りました。 あれからテレビを捨て、ボクはカフエを始めました。 ボクも駆け出しのディレクターだったとき、 企画書を何本書いてもちっとも通らなかった時代というのがありました。 ほんとに何本書いても通らないのです。 そのうち企画書を書くのが馬鹿馬鹿しくなり、番組一本の予算が5,000万円と聞いて、 ボクは銀行に行って5,000万円を借りてきました。 それでなにやろうかと考えて、「日本古来の豆と珈琲をコンセプトにしたカフエ」という番組を、 作りました。 それがマメヒコなのです。 そして角田さんもテレビ局を辞めて、いまボクとマメヒコでラジオをしている。 「テレビがそれほどまでに影響力を持ちえたのは、 戦後の一過性の偶然によるものであったのだ」 というフレーズはショックでした。 ショックでしたが、確かにそうなのです。 小さいころボクらの見ていたテレビと、いまのテレビでは、 何もかも違う。 ボクらのテレビは、そもそもブラウン管でダイヤル式だったし、 もちろんリモコンなんかあるはずもなく、いつもゴースト、画面が二重に写っていた。 それがデジタルだって!?と変わり、ハイビジョンってなによ!?となり、 16:9だってさ!? 液晶で壁掛け!?!? いまとなっては、どれもとうに時代遅れ、 「ていうかテレビとか見ないんですけど、なにか?」となってしまったのです。 貧しさからの脱却という夢が希望が家族にあり、物もよく売れた時代にアナログテレビは輝けた。 少子高齢化、人口減少、ちっとも売れないという時代に、 ハイビジョン、4K、8Kのハイ番組は再び輝けるのか、というと、 ...