1947年大樹町生まれ。十勝・大樹町、養豚家。源ファーム代表。
豚にホエー(乳精)を飲ませて育てるホエー豚を平成15年より飼い始める。
現在はホエー豚研究会会長。

朝から続々と「ホエー豚」の注文が入る。
それも東京のレストランや高級スーパー、自然食のネットショップから、源ファームのホエー豚「源ポーク」が欲しいと取引の依頼が次々と来る。
カフエ マメヒコも開店以来、ホエー豚のポークビーンズ、ハムレット、生ハムのトーストーリー、ポークソテー、パテと、
源ファームの豚を信頼し続けている。

いまから4年前。
マメヒコを始めようと考えていた2ヶ月ほど前の春。
ボクは国産豆のメッカ、十勝にいた。
そこで大豆の産地の町役場に、マメヒコのことについて説明をした。
なんとか低価格で豆を仕入れたいと思ったからだ。
一通り説明し終えたボクに役場のヒトの反応は冷ややかだった。
豆をメインとしたカフェというのは面白いが、果たしてそんな珈琲のおともに豆を食べに来るヒトがいるのかと。

そもそも。
煮豆を提供したいと企画書にありますが、豆など煮たこともない東京の女の子に、昨日今日で人様に食べさせられるようなものを煮ることなどできるのですかと。
私どもも産地の誇りをかけて煮豆は日夜研究しているが、うまく煮られるようになるには10年はかかりましたよと。
企画倒れではないかと。そう切り崩された。

十勝各地を案内してくれた大樹町に住む砂田さんが、
あきらめ顔で消沈するボクに、面白いヒトがいます紹介しましょう、と会わせてくれたのがゲンさんだった。

ゲンさんはマメヒコの企画書に関心を示すということはまるでなかったと思う。
ただ。
自分が長いこと豚と付き合ってきたこと。
奥さんのすみ子さんは苦労の連続だったこと。
その苦労は今思っても嘘みたいな苦労だったこと。
それらをゲンさんは話した。
ひとつの生ハムを作るには最低でも3年の時間が要る。
だから塩加減を3回試せばそれだけで10年かかるんだ。
だからまだまだ試せてないことがあるんだと。
父ほどの年齢のヒトが、ほほに手を当てながら、ニタッと笑ったあの顔と、奥さんのやれやれとしながら、このヒトについていくしかないんだけどという顔が、
十勝の印象としていつまでも残った。

そう。
北海道の先人たちの苦労に比べれば。
マメヒコを始める苦労、続ける苦労など鼻くそほどでしかない。

長く続けていればついていることがあるもんだよ。

ホエー肉を始めたものの、思うように売れず困っていた。
手塩にかけて育てた豚肉を、そのままゴミとして処理しなくてはならない毎日だった。
そんなある日、有名なテレビ番組「どっちの料理ショー」の取材を受ける。
それから様子は一変した。

当初、別なホエー豚が取材されることになっていた。
十勝に来ていた担当ディレクターがそのホエー豚を東京に送り、スタッフに食べてもらった。
しかし、東京からOKが出ない。
困ったディレクターがなにかアドバイスがないかと源さんのもとをたまたま訪ねた。

「その豚はね、ボクも良く知る豚だったから、残念ながら何の協力もできないよって言ったんだ。
ところが、そのディレクターが東京にうちの豚肉を持ち帰ったら、これは美味しい!!ということになったらしんだよ。
だからうちを取材したいって言ってきたんだけど。
先方のこともあるし、それを無視してうちが出ますってわけにいかないじゃない。
狭い社会だからね。

それでも毎日、毎日ディレクターから電話が来るんだよ。
あんまりしつこいから、じゃぁ、源ファームという名前を公表しないこと、極秘に撮影すること、を条件に取材を受けたんだよ。
そしたらロケの日に、近所のひとが訪ねて来て、ロケ隊を見ちゃった。
そしたらあっという間に、ゲンちゃんのホエー豚がどっちの料理ショーにでるんだよって、ばれちゃった」

放送終了後、電話はひっきりなしに鳴り続いた。
ハムやベーコン、ソーセージも作ったそばからなくなってゆく。
レストランには源ファームの豚丼を食べに来たと海外からも観光客が来る。
おかげで潰れるという心配はなくなった。

「けどね。ホエー豚ブームのせいで、販売用の生肉が急激に伸びた。
そのせいでね。ボクにとってなにより肝心な、生ハム作りができなくなってしまったんだ。
生ハムのために確保していた肉が片っ端から売れてしまうんだから。
結果として、生ハムの完成が3年は遅れてしまった」

mamehicoヒトヒコヒトヒコ14週:大美浪源さん1947年大樹町生まれ。十勝・大樹町、養豚家。源ファーム代表。豚にホエー(乳精)を飲ませて育てるホエー豚を平成15年より飼い始める。現在はホエー豚研究会会長。 朝から続々と「ホエー豚」の注文が入る。それも東京のレストランや高級スーパー、自然食のネットショップから、源ファームのホエー豚「源ポーク」が欲しいと取引の依頼が次々と来る。カフエ マメヒコも開店以来、ホエー豚のポークビーンズ、ハムレット、生ハムのトーストーリー、ポークソテー、パテと、源ファームの豚を信頼し続けている。 いまから4年前。マメヒコを始めようと考えていた2ヶ月ほど前の春。ボクは国産豆のメッカ、十勝にいた。そこで大豆の産地の町役場に、マメヒコのことについて説明をした。なんとか低価格で豆を仕入れたいと思ったからだ。一通り説明し終えたボクに役場のヒトの反応は冷ややかだった。豆をメインとしたカフェというのは面白いが、果たしてそんな珈琲のおともに豆を食べに来るヒトがいるのかと。 そもそも。煮豆を提供したいと企画書にありますが、豆など煮たこともない東京の女の子に、昨日今日で人様に食べさせられるようなものを煮ることなどできるのですかと。私どもも産地の誇りをかけて煮豆は日夜研究しているが、うまく煮られるようになるには10年はかかりましたよと。企画倒れではないかと。そう切り崩された。 十勝各地を案内してくれた大樹町に住む砂田さんが、あきらめ顔で消沈するボクに、面白いヒトがいます紹介しましょう、と会わせてくれたのがゲンさんだった。 ゲンさんはマメヒコの企画書に関心を示すということはまるでなかったと思う。ただ。自分が長いこと豚と付き合ってきたこと。奥さんのすみ子さんは苦労の連続だったこと。その苦労は今思っても嘘みたいな苦労だったこと。それらをゲンさんは話した。ひとつの生ハムを作るには最低でも3年の時間が要る。だから塩加減を3回試せばそれだけで10年かかるんだ。だからまだまだ試せてないことがあるんだと。父ほどの年齢のヒトが、ほほに手を当てながら、ニタッと笑ったあの顔と、奥さんのやれやれとしながら、このヒトについていくしかないんだけどという顔が、十勝の印象としていつまでも残った。 そう。北海道の先人たちの苦労に比べれば。マメヒコを始める苦労、続ける苦労など鼻くそほどでしかない。 長く続けていればついていることがあるもんだよ。 ホエー肉を始めたものの、思うように売れず困っていた。手塩にかけて育てた豚肉を、そのままゴミとして処理しなくてはならない毎日だった。そんなある日、有名なテレビ番組「どっちの料理ショー」の取材を受ける。それから様子は一変した。 当初、別なホエー豚が取材されることになっていた。十勝に来ていた担当ディレクターがそのホエー豚を東京に送り、スタッフに食べてもらった。しかし、東京からOKが出ない。困ったディレクターがなにかアドバイスがないかと源さんのもとをたまたま訪ねた。 「その豚はね、ボクも良く知る豚だったから、残念ながら何の協力もできないよって言ったんだ。ところが、そのディレクターが東京にうちの豚肉を持ち帰ったら、これは美味しい!!ということになったらしんだよ。だからうちを取材したいって言ってきたんだけど。先方のこともあるし、それを無視してうちが出ますってわけにいかないじゃない。狭い社会だからね。 それでも毎日、毎日ディレクターから電話が来るんだよ。あんまりしつこいから、じゃぁ、源ファームという名前を公表しないこと、極秘に撮影すること、を条件に取材を受けたんだよ。そしたらロケの日に、近所のひとが訪ねて来て、ロケ隊を見ちゃった。そしたらあっという間に、ゲンちゃんのホエー豚がどっちの料理ショーにでるんだよって、ばれちゃった」 放送終了後、電話はひっきりなしに鳴り続いた。ハムやベーコン、ソーセージも作ったそばからなくなってゆく。レストランには源ファームの豚丼を食べに来たと海外からも観光客が来る。おかげで潰れるという心配はなくなった。 「けどね。ホエー豚ブームのせいで、販売用の生肉が急激に伸びた。そのせいでね。ボクにとってなにより肝心な、生ハム作りができなくなってしまったんだ。生ハムのために確保していた肉が片っ端から売れてしまうんだから。結果として、生ハムの完成が3年は遅れてしまった」