1947年大樹町生まれ。十勝・大樹町、養豚家。源ファーム代表。
豚にホエー(乳精)を飲ませて育てるホエー豚を平成15年より飼い始める。
現在はホエー豚研究会会長。

朝はきれいに晴れ上がっていたのに。
見ろ!いまじゃどうだ。
空が茶色い砂埃で夜のように染まっている。
ロッジの窓から見える農業用道路も、
すっかり砂埃に視界を遮られ、もはやちょっと先も見えない。

豚舎は大丈夫だろうか。屋根でも飛んだら一大事だ。
いやそれどころか。
「オズの魔法使い」でドロシーが家ごと竜巻に巻き上げられたかのごとく、
せっかく建てたこのレストラン兼仕事場のロッジも、
そのまま持ってかれそうだ。

まぁそうなったらそうでもいいか。

それほどの春の嵐だった。
この日、5月19日に起きた十勝の嵐は、
オホーツク海の低気圧が原因で、大樹町の隣町である広尾町では瞬間風速29.3メートルを記録した。

「風塵」という大変珍しい気象現象です。

と年老いた気象予報士は、全国ニュースでまるでさっきまで嵐の中にいたかのごとく驚いてみせた。
嵐の中にいれば、嵐の中にいるとはわからないものだ。
嵐の外ほど、嵐がきたと声を出し手を振り騒いでいる。

ゲンさんは豚舎も豚も、家族も家も、
すべての無事を確認し終えて、テレビを見ながらなんとなくそう思った。

北海道・十勝の南。高台に上れば日高の海が見とおせる大樹町で、豚屋家業は40年になる。

1頭1頭、自分の豚は自分の眼と直感で状態を確かめながら育ててきた。
ゲンファームがチーズの副産物「ホエー」を豚に与え始めたのは10年前になる。
ホエーとは、チーズを作るときに出てくる「乳清」のこと。
最近は大々的にテレビで「ホエー豚、ホエー豚」と取り上げられるようになり、
「あぁあのテレビで有名なホエー豚をそだてておられる・・・」と言われることが多くなった。
そう言われると何となく複雑な思いになる。
10年前、ホエーを豚に飲ませたゲンさんに理解者はいなかった。

帯広の会社を辞め、24歳で大樹町に帰ってきたゲンさんは、26歳の時に従妹の友達だったすみ子さんと結婚した。
出会ったのが1月の中旬。結婚式は4月1日。
あまりのスピード結婚に、エイプリルフールの冗談だと思って欠席する友人もいたという。

結婚して本格的に養豚業を始めた二人だったが、ほとんどゼロからのスタートだった。

「失敗に失敗を重ね、豚のことが分かるまで7~8年かかったわ」
とすみ子さんは言う。
父母の時代には100頭前後だったが、今では500~600頭の豚を飼っている。
これも現代の養豚業にしては少ないという。
結婚してから今日まで苦労のなかった日はない。
大樹町で2軒まで減った養豚農家を今まで続けてこられたのも、
借金を返してこられたのも、
そして生ハム作りを続けることができたのも、
ゲンさんの傍にはいつもすみ子さんがいてくれたお陰だ。

「女房は辛抱家ですね」

夫婦に転機が訪れたのは今から9年前。
「元気づくり事業」という名のもとに、農業開発普及センターが7団体に補助金を出すことになった。
十勝の事業を活性化することを目的にした補助金制度だ。
そこに名乗りを上げようとゲンさんに誘いをかけたのは、
同じ大樹町で育った幼馴染、インカルシペの米山さんだ。

大樹町からはまだ手を挙げている人がいなかった。

米山さんには白樺の森を開拓し、コテージを作って大勢の人に開放し、大樹町を活性化させたいという夢があった。
ゲンさんには大樹のチーズ作りから出たホエーを飲ませた豚肉を加工し、ホエー豚を広めたいという夢があった。

補助金が下りることが決定し、レストランを併設した源ファームがオープンしたのは平成12年10月21日のことだ。

しかし、ホエー豚はちっとも売れなかった。
ホエー豚のおいしさは理解されず、バラ肉とロースだけがよその豚と同じ値段で安く買い取られた。
ファームの脇には、売れずに残った部位が山積みされ、雪に埋もれていた。

それが「どっちの料理ショー」で取り上げられて少しずつ様子が変わった。

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mamehicoヒトヒコヒトヒコ14週:大美浪源さん1947年大樹町生まれ。十勝・大樹町、養豚家。源ファーム代表。 豚にホエー(乳精)を飲ませて育てるホエー豚を平成15年より飼い始める。 現在はホエー豚研究会会長。 朝はきれいに晴れ上がっていたのに。 見ろ!いまじゃどうだ。 空が茶色い砂埃で夜のように染まっている。 ロッジの窓から見える農業用道路も、 すっかり砂埃に視界を遮られ、もはやちょっと先も見えない。 豚舎は大丈夫だろうか。屋根でも飛んだら一大事だ。 いやそれどころか。 「オズの魔法使い」でドロシーが家ごと竜巻に巻き上げられたかのごとく、 せっかく建てたこのレストラン兼仕事場のロッジも、 そのまま持ってかれそうだ。 まぁそうなったらそうでもいいか。 それほどの春の嵐だった。 この日、5月19日に起きた十勝の嵐は、 オホーツク海の低気圧が原因で、大樹町の隣町である広尾町では瞬間風速29.3メートルを記録した。 「風塵」という大変珍しい気象現象です。 と年老いた気象予報士は、全国ニュースでまるでさっきまで嵐の中にいたかのごとく驚いてみせた。 嵐の中にいれば、嵐の中にいるとはわからないものだ。 嵐の外ほど、嵐がきたと声を出し手を振り騒いでいる。 ゲンさんは豚舎も豚も、家族も家も、 すべての無事を確認し終えて、テレビを見ながらなんとなくそう思った。 北海道・十勝の南。高台に上れば日高の海が見とおせる大樹町で、豚屋家業は40年になる。 1頭1頭、自分の豚は自分の眼と直感で状態を確かめながら育ててきた。 ゲンファームがチーズの副産物「ホエー」を豚に与え始めたのは10年前になる。 ホエーとは、チーズを作るときに出てくる「乳清」のこと。 最近は大々的にテレビで「ホエー豚、ホエー豚」と取り上げられるようになり、 「あぁあのテレビで有名なホエー豚をそだてておられる・・・」と言われることが多くなった。 そう言われると何となく複雑な思いになる。 10年前、ホエーを豚に飲ませたゲンさんに理解者はいなかった。 帯広の会社を辞め、24歳で大樹町に帰ってきたゲンさんは、26歳の時に従妹の友達だったすみ子さんと結婚した。 出会ったのが1月の中旬。結婚式は4月1日。 あまりのスピード結婚に、エイプリルフールの冗談だと思って欠席する友人もいたという。 結婚して本格的に養豚業を始めた二人だったが、ほとんどゼロからのスタートだった。 「失敗に失敗を重ね、豚のことが分かるまで7~8年かかったわ」 とすみ子さんは言う。 父母の時代には100頭前後だったが、今では500~600頭の豚を飼っている。 これも現代の養豚業にしては少ないという。 結婚してから今日まで苦労のなかった日はない。 大樹町で2軒まで減った養豚農家を今まで続けてこられたのも、 借金を返してこられたのも、 そして生ハム作りを続けることができたのも、 ゲンさんの傍にはいつもすみ子さんがいてくれたお陰だ。 「女房は辛抱家ですね」 夫婦に転機が訪れたのは今から9年前。 「元気づくり事業」という名のもとに、農業開発普及センターが7団体に補助金を出すことになった。 十勝の事業を活性化することを目的にした補助金制度だ。 そこに名乗りを上げようとゲンさんに誘いをかけたのは、 同じ大樹町で育った幼馴染、インカルシペの米山さんだ。 大樹町からはまだ手を挙げている人がいなかった。 米山さんには白樺の森を開拓し、コテージを作って大勢の人に開放し、大樹町を活性化させたいという夢があった。 ゲンさんには大樹のチーズ作りから出たホエーを飲ませた豚肉を加工し、ホエー豚を広めたいという夢があった。 補助金が下りることが決定し、レストランを併設した源ファームがオープンしたのは平成12年10月21日のことだ。 しかし、ホエー豚はちっとも売れなかった。 ホエー豚のおいしさは理解されず、バラ肉とロースだけがよその豚と同じ値段で安く買い取られた。 ファームの脇には、売れずに残った部位が山積みされ、雪に埋もれていた。 それが「どっちの料理ショー」で取り上げられて少しずつ様子が変わった。